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司法書士 田口司法事務所 スタッフブログ

 

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村上春樹の物語とメタファー

No.162  平成29年7月24日(月)

 

―村上春樹とは、読む度、好きと思ったり嫌いと思ったり、アンビ

バレント(愛憎こもごも)な感情を抱く存在である―

 

今年2月に発表された村上氏の『騎士団長殺し』を読む準備運動と

して、村上氏の初期作品『風の歌を聴け』、『1973年のピンボ
ル』、『羊をめぐる冒険』(以上、青春三部作)を再読しました。
村上氏の作品は、大学生の頃に初めて読んで以来、折に触れて読み
返しています。

 

今回の再読で最も考えさせられたのは、青春三部作の中では人気も

世評も控えめな『ピンボール』。「僕」と双子の姉妹との日常、そ
てデビュー作『風の歌』から続く「鼠」との友情を描いた作品で
す。
双子の姉妹がどこからかやってきて、どこかへといなくなって
しま
ったように、「僕」は物事に執着することなく、ただ事実を受
け流し
ます。一方、「鼠」は街を出ていくことを決意します。

「鼠」は「僕」の分身であり、社会にコミットメント(関与)出来
ないでいる「僕」
が生み出した「僕のあるべき姿」ではないか、と
私は考えます。

一般的に村上作品の登場人物は、物事にかかわりをもたず無関
心で
あること(デタッチメント)を特徴とし、それが人間関係や社
会に
縛られたくないと思っている人々の共感を呼んでいるところも
ある
かと思うのですが、私が、「僕」は社会にコミット「しない」の

はなく「出来ない」のだと感じるのは、本作における「鼠」の決

に至る葛藤が、失うことを恐れて決断出来ない「僕」の葛藤とし

映るからです。「僕」自身、変わらなければならないことを分かっ
ているんじゃないのかな。

 

実際、村上作品は、『ねじまき鳥クロニクル』で「デタッチメント
らコミットメントへの転換」があり、その姿勢は、地下鉄サリン
件を扱ったノンフィクション『アンダーグラウンド』、阪神大震
災を
契機とした連作短編集『神の子どもたちはみな踊る』に顕著で
す。

 

このような過去の作品とのつながりも考えながら、いよいよ最新作

『騎士団長殺し』に突入。

果たして村上氏が本作で紡いだ物語は魅力的であったでしょうか。

残念ながら私は楽しめませんでした。それゆえ「私の好まない村
春樹」ばかりが目に付いてしまったようです。

謎の美少女、(井戸のような)穴と壁、都合のいい女性、お酒と
理と音楽・・・いつものレギュラーメンバー。
私の方が「やれや
れ」と言いたい。

これらの「メタファー」を読み解くことが村上作品を読む楽しみで

あることは理解できます。しかし、その謎解きを楽しめるほど夢中

になれなくなったのは、私が社会にコミットする立場にあり、(デ
ッチメントを脱したとはいえ)社会性の乏しい登場人物らに共感
きなくなってしまったからかもしれません。

 

とはいえ、以上はあくまでも「物語」についての感想。

本作を通じて村上氏は何を語りたかったのか。

これについては私なりに感じるところがあり、深く考えさせられた

ことも事実。だからこそ、冒頭のアンビバレントな感情を抱きつつ、

村上氏の作品から目が離せないのです。

 

 

今朝のお供、

ショルティ指揮ウィーン・フィルの演奏によるR.シュトラウスのオ

ペラ『ばらの騎士』。

                       (佐々木 大輔)
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