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司法書士 田口司法事務所 スタッフブログ

 

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ロックTシャツ愛

No.161  平成29年5月22日(月)

 

ロックTシャツ。

ロックバンドのロゴやメンバー写真、アルバムジャケットなどがデ

ザインされたTシャツです。

最近は街なかでも普段着としてロックTシャツをおしゃれに着こな

す若者を見かけるようになり、ロックのすそ野も広がったものだな

あと嬉しく思っていたのですが、事はそう単純でもないようです。

 

以前あるバラエティ番組で、ロックTシャツを着ている人にそのバ

ンドの代表曲のイントロを聞かせて曲名を答えられるか検証すると

いう企画を放送していましたが、検証結果はなんと9割以上の人が

答えられないというもの。そればかりか、中には着ているTシャツ

のバンド名さえ知らない人もいたという衝撃的な結果!

 

確かに今では通販でも幅広く手に入りますし、バンドの音楽よりも

デザインに惹かれてTシャツを購入したという人がいてもおかしく

ありません。

 

私がロックに夢中だった中学時代は、好きなバンドのTシャツを欲

しいと思っても情報すらほとんどなく、雑誌の片隅に小さく載って

いた取扱い業者―多くが新宿のマンションの一室で商売をしていま

した―に電話をかけて注文したり、雑誌の懸賞に応募したりしてい

たことを懐かしく思い出します。

いずれにしても選べるほどの種類はなく、各デザインにつきサイズ

もワンサイズ。明らかにオーバーサイズな海外サイズのLを購入せ

ざるを得ないことも度々で、実際着てみるとやっぱりぶかぶか。

悲しいかなロック感よりもヒップホップ感の方が強かった・・・。

それでも手に入れられたことが嬉しくて、学生服の中に着て通学し

ていました―本当は校則違反だったのかもしれませんが―。

 

その頃の思い出が詰まったTシャツは、さすがに現役ではありませ

んが、今でも大切に保管してあります。

 

そんなノスタルジックな思いもあり、私はロックTシャツにひとか

たならぬこだわりがあります。

それは「好きなバンドのTシャツしか着ないこと」。

デザインがおしゃれだ、可愛いなどといった生ぬるい理由で、音を

聴いたこともないバンドのTシャツを着ることはありません。

もっと言えば、ベストアルバム(ヒット曲だけを収録したもの)を
持っている程度のバンドのTシャ
ツも着ません。

そもそも、ロックTシャツがおしゃれだと思ったこともありません。

むしろ、「このダサいデザインのTシャツを身に着けられるほど、
前はこのバンドを愛しているのか」と挑まれている気がして、そ
のバンドに忠誠を誓うがごとき熱い気持ちで袖を通しているのです。

 

そんな訳で、昔は若気の至りもあり他人にも自分の価値観を押し付

けがちで、聴いたこともないバンドのTシャツを着ている人に対し

て否定的でした。

最近は少し丸くなったのか、音楽を知らずに着ている人たちにも、

ロックTシャツをきっかけにそのバンドの音楽を聴いてもらえたら

いいな、そして本当にそのバンドのファンになってもらえたらいい

なと思っています。

 

 

今朝のお供、

AC/DC(オーストラリアのバンド)の『Let There Be Rock』。

 

(佐々木 大輔)

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私の好きな曲「K.595」

No.160  平成29年4月24日(月)

 

2月の当ブログで、<恩田陸の小説と出会う>などという大仰なタ

イトルで採りあげました恩田陸著『蜜蜂と遠雷』が、先日、第14

回本屋大賞を受賞し、直木賞とのW受賞となったことがニュースに

なっていました。そしてニュースを見るまでは意識をしていなかっ

たのですが、そのあとに続けて読んだ恩田氏の『夜のピクニック』

も、第2回本屋大賞受賞作だったことに不思議な縁を感じたもので

す。

 

件の『蜜蜂と遠雷』は音楽を題材とした小説だったので、今回のブ

ログは私の好きな音楽について・・・というのは少々強引ですが、

お付き合いください。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第27番(K.595)。

私はこの曲が大好きで、春になると聴きたくなります。第3楽章の

主題が、同じ年に作曲されたモーツァルト自身の歌曲「春への憧れ」

に転用されているからかもしれません。

モーツァルト晩年の傑作のひとつで、完成したのは亡くなった年の

初頭。モーツァルト自身、もう長くはないことを悟り、再び春を愛

でることはできないかもしれないという諦念がにじむ一曲です。そ

れゆえ、モーツァルトらしい華やかさよりも、静謐な佇まいを感じ

ます。

 

バレンボイムのピアノ(と指揮)とイギリス室内管弦楽団による演

奏は、私が10代の頃から愛聴しているもので、CDとレコード盤

の両方で所有しているのですが、最近はレコード盤の方で聴くこと

が多くなりました。50年も前の録音で、さすがに録音の古さを感

じるものの―レコード盤で聴く限りそれも味わいとなりますが―オ

ーケストラの前奏に続き、コクのある色の濃いピアノが入ってくる

と一気に華やぎます。

この曲は華やかさよりも・・・と書いたことと矛盾しているようで

すが、若き日のバレンボイムは音そのものにきらめきがあるからで

しょう、咲きこぼれる花のような明るさがあります。しかしその明

るさがかえって寂寥感を際立たせているのも事実。緩徐楽章に聴
ロマンティックな呟き、胸が締め付けられるようなピアニシモの

め息。そのすべてにモーツァルトの微笑みと背中合わせの孤独を

じます。

 

バレンボイム盤と同様、10代の頃からの愛聴盤に、バックハウス

のピアノとベーム指揮ウィーン・フィルのコンビによる演奏があり

ます。こちらはなんと60年以上も前の録音で、バレンボイム盤よ

りもさらに古い録音ですが、鑑賞には全く問題がありません。硬質

で引き締まったピアノの音は澄み切った青空を見上げるようでもあ

り、枯淡の境地に達した演奏は、余白を生かした水墨画を観るか
ようでもあります。

 

古今東西、良い演奏があるという評判や噂を聞けば、今回紹介した

愛聴盤以外もいろいろとチェックをし、その中にはお気に入りの演

奏もあるのですが、最終的には、この曲の魅力を最初に教えてくれ

た愛聴盤に気持ちが戻るようです。

 

 

今朝のお供、

MUSE(イギリスのバンド)の『Black Hole and Revelations』。

 

(佐々木 大輔)

音を楽しむ

No.153  平成28年9月20日(火)

 

この夏、しばらく故障したままになっていた自室のCDプレーヤー

を思い切って新調したことをきっかけに、手持ちのCDをとっかえ

ひっかえ聴いています。

プレーヤーが新しくなると、プラシーボ効果かもしれませんが、聴

き馴染んだCDも新鮮に聴こえます。

 

今回は、改めて聴き直しても良い演奏だなと思ったものをいくつか

紹介します。

 

まず1枚目は、フルニエの演奏によるJ.S.バッハ作曲『無伴奏チェ

ロ組曲全曲』。

「チェロの貴公子」と呼ばれたフルニエの落ち着いたチェロは、秋

の夜に聴くにはぴったりの音色です。

有名曲ですのでこの曲には数多くの録音が存在しますが、フルニエ

の演奏は、1960年に録音されてから50年以上経った現在でも、

この曲を代表する名盤の地位を譲る様子はありません。

あまりにも定番すぎて、かえって最近は手に取る機会の少ない演奏

でしたが、今回、気持ちも新たに聴いてみると、気品はもちろんで

すが、新しいプレーヤーのおかげか、弦を押さえるフルニエの指の

力がリアルに伝わってきて、気品以上に「たくましさ」を感じまし

た。聴き進むと、そのたくましさはやがて父性を湛えた優しさへと

姿を変え、やすらぎに満ちた慈愛で聴く身を包んでくれます。

 

もう1枚は、マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ

管弦楽団によるショスタコーヴィチ作曲交響曲第7番『レニングラ

ード』。

この曲が作曲された背景について一言触れておきますと、1941

年6月、ナチスドイツの侵攻により多くの犠牲者を出したレニング
ラードでの壮絶な攻防の中、作曲者自身も命の危険にさらさ
れなが
ら、民衆の抵抗する姿や犠牲者への鎮魂を込めて書かれた作
品です。

ところがここでのヤンソンスは、上述の背景にこだわり過ぎず、
音楽としての演奏に徹している感があり、そのぶん第1楽
章の行進
曲には若干の物足りなさを感じますが、第3楽章の深い祈
りは言葉
を失うほどの美しさです。
 

私個人としては、ショスタコーヴィチには未だ「キワモノ」的な印

象をぬぐいきれないのですが―そこに魅力を感じることも事実なの
です
が―、ヤンソンスの演奏で聴くと、古今東西の名曲と比肩しう
る「ク
ラシック」の王道と呼ぶにふさわしい作品として屹立します。

加えてこのCD(SACD)は録音も素晴らしく、弦の厚い響き、

管楽器の強奏部分でさえ柔らかさを失わない優美さは、コンサート

ホールで実演を聴いているかのような喜びがあります。

 

すっかり涼しくなり、過ごしやすくなった秋の夜。

皆さんも好きな音楽をゆっくり楽しんでみてはいかがでしょう。

 

 

今朝のお供、

Red Hot Chili Peppers(アメリカのバンド)の『The Getaway』。

大人のレッチリ。クラシック音楽向きに組んである自室のオーディ

オでも、王者の貫録と余裕を感じさせるロックが堂々と鳴ります。


                       (佐々木 大輔)

レコード芸術

No.147  平成28年3月14日(月)

 

先日、指揮者の小澤征爾氏が、ラヴェル作曲のオペラ『こどもと魔

法』でグラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞しました。8回目のノ

ミネートで初受賞ということですが、小澤氏の場合、そのキャリア

においてグラミー賞以上の栄誉を得ているため、受賞には今さら感

がありますが、西洋芸術文化の集大成ともいえるオペラ部門での受

賞となると、やはり快挙と言わざるを得ません。

 

嬉しいニュースが届いた一方、年明けから、ピエール・ブーレーズ

(作曲家・指揮者)やニコラウス・アーノンクール(指揮者)とい

った現在のクラシック音楽界に多大な影響を与えた音楽家が、相次

いで鬼籍に入りました。私がクラシック音楽を聴き始めた頃に大ス

ターだった音楽家たちの訃報を聞くたび、時代の移り変わりを感じ、

切なくなります。

 

最近、友人知人と音楽談義をする機会が多くなり、音楽を聴き始め

た頃の初々しい気持ちを思い出し、当時聴いていた録音を久しぶ
にあれこれ聴いていたところでしたので、余計に寂しさが募りま
す。
ブーレーズもアーノンクールも、生演奏をついぞ聴く機会がな
く終
わってしまった私にとって、両巨匠は永遠にレコードの中の住
人と
なってしまいました。それでも、今は亡き音楽家の演奏を繰り
返し
聴くことができることは、まさにレコード芸術の粋でしょう。

 

私は音楽を聴くにあたり、CDよりもレコードに手が伸びることは、

当ブログでも何度か触れてきました。

私が思うレコードの魅力は、科学的なことは分かりませんが「音の

円さ」、そしてジャケットサイズです。

 

音楽配信が主流となった現代において、重くかさ張るレコードは、

過去の遺産のようなものですが、私は、30センチ四方のジャケッ

トをためつすがめつしながら聴かなければ、音楽を聴いた気がしな

いのです。

シャガールが友人ロストロポーヴィチ(チェリスト・指揮者)の西

側デビューを祝い描き下ろしたシェエラザードのジャケット絵画、

PINK FLOYD(イギリスのバンド)のイメージと切り離すことが
きないヒプノシスの作品・・・眺めながらニヤニヤしたり、時に
頬ずりしたり―中学時代、欲しいレコード(CD)を購入した時
嬉しくて本当に頬ずりしていました―しながら聴いている姿は、
ても人に見せられるものではありませんが。

 

また、レコードは片面の収録時間が20~30分というのもちょう

どいい長さです。たとえば、お酒を飲みながら音楽を聴く場合でも、

グラス1杯のお酒を飲みながら片面を聴き、もう1杯とともに裏面

を聴く。あるいは、片面を聴きながらハンドドリップでコーヒーを

淹れ、裏面を聴きながら淹れたてのコーヒーを飲む。

いずれも至福の時間です。

 

近年、レコードの復興と言われ、昨年の国内売り上げをみても、C

D等音楽ソフトの売り上げが軒並み前年割れとなる中、レコードだ

けは売上枚数が前年比165%、売上額も同173%となっていま

す。この調子で、若い音楽ファンにもぜひレコードの魅力を知って

もらえればと思います。

でも、私が欲しいレコードは、私に入手させてくださいね。

レコードはすぐに売り切れてしまいますから。

 

 

今朝のお供、

ビリー・ジョエル(アメリカのミュージシャン)の『ピアノ・マン』。

ジャケットが怖い。レコードサイズだともっと怖い。

中身は名盤です。


                       (佐々木 大輔)

NHK交響楽団

No.143  平成27年11月9日(月)

 

毎年秋は、国内外の主要なオーケストラの新シーズンが始まり、各

オーケストラがどんなプログラムを組んでくるのか楽しみな時期で

もあります。

中でもNHK交響楽団(N響)は、テレビやラジオでも演奏会を楽

しむことができることから、私にとって最もその演奏を楽しむ機会

が多いオーケストラといえるでしょう。

 

私がN響の演奏で思い出に残っているのは、まず、小澤征爾の指揮

とロストロポーヴィチのチェロによる「ドヴォルザークのチェロ協

奏曲」(1995年)。そして、普段優等生的なN響が珍しく熱く
え、興奮と感動のあまり泣きながら演奏する団員もいたというチ
ン・ミョンフンの指揮による「チャイコフスキーの交響曲第4番」

(1998年)です。

 

小澤征爾の演奏は、「ボイコット事件」(*)以来絶縁状態にあっ
両者が、32年ぶりに共演するという歴史的な演奏会でのもの。
しも阪神淡路大震災発生直後の演奏会ということもあって、始ま
と終わりは拍手なしの黙とうにより、静寂に包まれた異例の演奏
となりました。

「今、ここに鳴らさなければならない音」が切実な響きとなって、

和解に至る前の張り詰めた緊張感を飲み込むさまを聴くにおよび、

真の音楽を前にした時、私的な感情は一切の意味を失うことを思い

知らされた演奏でもあります。

 

さて、N響は今シーズン(2015年9月)から、パーヴォ・ヤル

ヴィを首席指揮者に迎えました。N響が「首席指揮者」というポス

トを設けたのは今回が初めてとのことで、ヤルヴィが初代というこ

とになります。

過去にN響と深くかかわった指揮者たちが務めてきたポストは、名
指揮者や常任指揮者あるいは音楽監督というもので、いったい首
指揮者とはどう違うのかと聞かれても私にはよくわからないので
が、とにかく、これからしばらくの年月、N響はヤルヴィとの演
を中心に活動していくことになります。

 

私が聴く限り、ヤルヴィの音楽作りに独裁的な色合いはなく、団員

個々から良いところを積極的に引き出した上で、それをリーダーと

してまとめ上げ、ひとつの方向へ導いていくため、オーケストラの

自発性が高められ、音楽に弾けるような喜びが輝きます。

 

N響は、ドイツ・オーストリアの伝統に根差した音楽作りをしてき

たオーケストラです。長きにわたりN響を指導してきたサヴァリッ

シュやスイトナーといった優れた指揮者の薫陶によるところも大き

いでしょう。その一方で、デュトワ時代には、エスプリの効いた色

彩豊かな音への変化が高く評価されました。

ヤルヴィの就任によってN響の音はどのように変わるのでしょう。

過去の客演、10月の演奏会からは、相性の良さがうかがえます。
レパートリーも多岐にわたる指揮者ですし、N響の新しい魅
力を存
分に引き出してくれることと期待しています。

 

 

*ボイコット事件(1962年)

若き日の小澤とN響が衝突し、N響が本番をボイコットした事件。

演奏会当日、団員のいないステージに小澤がひとり登壇した。

 

 

今朝のお供、

DEF LEPPARD(イギリスのバンド)の『ADRENALIZE』。

 

(佐々木 大輔)

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