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司法書士 田口司法事務所 スタッフブログ

 

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リオオリンピック

No.152  平成28年8月16日(火)

 

いよいよ始まったリオデジャネイロオリンピック。

開催すら危ぶまれたオリンピックでしたが、いざ始まってみると連

日の熱戦に夢中。

日本も16日朝の時点でメダル数が金7個、銀4個、銅16個と大

健闘しています。

 

柔道男子は史上初めて全階級メダルの快挙を達成し、卓球シングル

スは男子の水谷選手が日本勢初のメダルを獲得しました。卓球は男

子団体も銀メダル以上が確定しています。

錦織選手が96年振りのメダルを獲得したテニス男子シングルスも

素晴らしかったですね。

そしてなんといっても体操の内村選手。アテネオリンピックの「栄

光への架け橋」から12年、悲願の団体金メダルを獲得、その後の

個人総合でも集中力を切らさず大逆転の金メダル劇は圧巻でした。

 

テレビの前で応援する私個人の気持ちとしては、選手の皆さんが力

を出し切った結果であれば、メダルの色は(もっと言えばメダル自

体も)関係ないと思っています。

もっとも、一番いい色のメダルを目指して誰よりも努力したけれど、

結果的にメダルに手が届かなかった選手に対して、「メダルよりも
張ったことに価値がある」と言うことは、その選手の努力を否定
ることにもなりかねません。

それでも、実際にオリンピックに出場しているわけではなく関係者

でもない、ただ応援するだけの私は、出場した選手が個々の目標達

成を目指して力を出し切り、頑張る姿に胸を熱くするのです。

そうは言うものの、やはり応援している選手には何としても勝って

もらいたいですし、メダルを取ってほしいですから、思わず応援に

も力が入り、はからずも次の日筋肉痛になってしまうのですが。

 

後半戦も4連覇のかかるレスリング女子など、まだまだ目が離せな

い楽しみな競技が続きます。
選手の皆さんの活躍に期待しましょう。

 

スポーツの話題でもうひとつ。

元横綱千代の富士の九重親方が、7月31日に亡くなりました。

私は千代の富士の大ファンでしたので、「あの強くてかっこよかっ
千代の富士でも病には敵わなかったのか・・・」と本当に残念で
りません。

訃報に接して私が思い出すのは、引退を決意することとなった貴花

田(現貴乃花親方)との取組や、53連勝で止まった大乃国(現
田山親方)との取組など、横綱が負けた一番ばかりというの
も不思
議なものですが、勝つことが当たり前で負けることが珍しか
った大
横綱ならではの思い出かな、とも思います。

ご冥福をお祈りします。

 

 

今朝のお供、

SMAPの曲「夜空ノムコウ」。

僕らにとっての、あの頃の未来。

過ぎていく毎日の中で、励ますように口ずさめば、少しだけ僕を強
くする。

                       (佐々木 大輔)
 

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涙と涙

No.119  平成26年3月3日(月)

 

ソチ・オリンピックが終わり、皆さんもようやく寝不足から解消さ

れた頃でしょうか。

 

今回のオリンピックは、今大会で引退を表明(示唆)しているベテ

ラン勢(葛西選手は現役を続行するそうですが)の集大成としての

戦いと、若き才能の活躍が目立ちました。

メダルの数だけに執着するのはよくありませんが、今大会は、国外

で開催された冬季オリンピックとしては最多だったとのことで、こ

れも選手の皆さんの頑張りの表れに違いありません。

 

男子フィギュアスケート初の金メダルを獲得した羽生選手、41歳

にしてジャンプで個人の銀メダルと万感の思いに溢れた団体の銅メ

ダルを獲得した葛西選手、惜しくもメダルには届きませんでしたが

モーグルの上村選手やジャンプの高梨選手など、印象に残った選

手・競技はたくさんありました。

 

その中で、フィギュアスケートの浅田選手には、やはり特別な思い

がありました。

バンクーバーでの涙を笑顔に変えてほしいと願っていましたし、も

ちろん、その結果が輝くメダルという形で実を結んでくれたら、と

も。

しかし、フリーの演技を終えた直後、浅田選手の頬にあふれた大粒

の涙、そして晴れやかな笑顔を見たとき、もう、順位のことは私に

は重要ではありませんでした。浅田選手が自分で納得のいく演技が

できたこと、それ以上に何を望むことがあるでしょうか。

世界中のスケーター、アスリートから寄せられた激励の言葉、称賛

の言葉からも、スケートに全てを捧げてきた浅田選手に対する尊敬

の念が伝わってきます。

 

浅田選手の今後については「ハーフハーフ」とのことですが、現役

を続行するにしても、一線を退くにしても、また新たに活躍する姿

を楽しみにしています。

 

選手の皆さん、熱い感動をありがとうございました。そして本当に

お疲れ様でした。

 

 

今朝のお供、

ビル・エヴァンス(p)とジム・ホール(g)による
UNDERCURRENT』。

先日もシーガルクラブでお世話になった割烹「大内田」さん。

繊細なお料理とお店の雰囲気、きめ細やかな心遣いは、いつも私に

1枚のレコード―そう、それはCDではなく絶対にレコード、それ

も、丁寧にターンテーブルに載せられ、心を込めて静かに針を落と

されたレコードでなければなりません―を想い起こさせます。

                       (佐々木 大輔)

東北楽天ゴールデンイーグルス

No.110  平成25年10月21日(月)

 

皆さんご存知のとおり、プロ野球の東北楽天ゴールデンイーグルス

が、球団創設9年目にして初のパ・リーグ優勝を決め、現在、日本

シリーズ進出をかけて千葉ロッテマリーンズとファイナルステージ

を戦っています。

21日の当ブログ公開時点で3勝1敗(アドヴァンテージを含む)、

日本シリーズ進出へあと1勝。

 

楽天の創設は2005年。ちょうど私が仙台に住み始めた年のこと

でしたので、感慨深く思い出します。

1年目のシーズンは田尾監督のもと、初々しいチームとして・・・

と言いたいところですが、現実の楽天は、近鉄バッファローズを統

合したオリックス・バッファローズとの分配ドラフトにより、オリ

ックスの優先保有枠を外れた選手が集められたチームという印象で

した―なかには、岩隈投手のように、オリックスへの入団を拒否し

て楽天へ入団した選手もいましたが―

 

結局、1年目は首位ソフトバンクに50ゲーム以上の差をつけられ

ての最下位。田尾監督の解任という形で幕切れとなりました。個人

的には、田尾監督とともにチームが育っていくところをもう少し見

てみたかったという思いが強く残っていますが、2代目の野村監督

とマー君こと田中将大投手との縁を考えると、楽天にとっては通る

べき道だったのかなあと考えることで溜飲を下げたり。

そういえば、楽天の公認イメージソングを歌っていたさとう宗幸氏

が、田尾監督の解任を巡って激怒し、名誉会員でもあったファンク

ラブを脱退するという騒動もありました。

 

決して恵まれた環境でスタートしたわけではない楽天が、9年間で

いよいよ日本一を狙えるチームになったことは、田中投手の今シー

ズン無傷の24連勝という前人未到の記録にばかり頼ったものでは

なく、チームとしての成長が本物だったからでしょう。

東北の野球ファンの悲願をぜひ達成してください。応援していま

す!

 

 

今朝のお供、

KISS(アメリカのバンド)の『GREATEST KISS』。

ただ今、来日中。セットリストはきっとヒットメドレーで、パーテ

ィロックが炸裂していることでしょう。

                       (佐々木 大輔)

白河の関越え、今年もならず

No.106  平成25年8月26日(月)
 
24年振りに東北勢が2校準決勝に残った今年の高校野球甲子園大
会。今年こそは優勝旗が白河の関を越えるかと期待されましたが、
惜しくも両校揃って準決勝で敗退。残念ながら今年も優勝旗は白河
の関を越えることができませんでした。
それでも、近年東北勢の活躍は素晴らしいですね。直近10年の東
北勢の勝率は、関東勢、近畿勢に次ぐ3番目だそうです。
 
24年前の甲子園大会では、秋田県代表の経法大附属高校(現明桜
高校)と宮城県代表の仙台育英高校が準決勝に残りました。惜しく
も経法大附属高校は準決勝で敗退、決勝進出を果たした仙台育英高
校も延長戦の末、帝京高校の前に涙をのみました。
その後優勝旗は、東北よりも先に沖縄県、そして北海道へと渡りま
した。
できることなら、秋田県の代表校に白河の関越えを果たしてもらい
たいというのが私の本音、もっといえば母校の秋田高校に・・・。
 
2006年(第88回大会)、第1回大会でベスト4の記録を持つ早
稲田実業が、田中将大投手を擁する駒大苫小牧高校を制して初優勝
した時、早実の監督は「(優勝を)88回待ちました!」とその喜び
を表しました。
秋田高校だって、第1回大会の準優勝以来、未だにずっと待ってい
ます。それに、第1回大会準決勝で早稲田実業を破ったのは、何を
隠そう秋田高校(当時は秋田中学)なんですよ!
 
 
今朝のお供、
AEROSMITH(アメリカのバンド)の『ROCKS』。
彼らの70年代のアルバムでは、やっぱりこれが一番好き。

                       (佐々木 大輔)

師弟愛

No.101  平成25年5月7日(火)
 
5月5日、東京ドーム。超満員の観客が見守る中、長嶋茂雄巨人軍
終身名誉監督と、巨人軍や大リーグのヤンキース等で活躍した松井
秀喜氏に国民栄誉賞が授与されました。国民栄誉賞が首相官邸以外
の場所で授与されたのは、今回が初めてのことだそうです。
 
授与式に先立って、松井秀喜氏の引退式が行われました。スピーチ
の中で松井氏は、「二度とここに戻ることは許されないと思ってい
た」という気持ちを吐露。当時、これだけの決意と覚悟をもって渡
米したことがわかり、今さらながらに胸が熱くなりました。
スピーチを終えた松井氏を、おそろいのスーツ姿の長嶋監督が出迎
えます。「一緒の格好で」というのは松井氏からの提案だったそうで
すが、ヤンキースをイメージさせるピンストライプのシャツは、長
嶋監督の計らいでしょうか。
 
続いて行われた授与式。長嶋監督の背筋の伸びた美しい立ち姿は、
本当にダンディでした。報道によると、病気をしてからの9年間で
長嶋監督がリハビリを休んだのは、たったの2日だけとのことだそ
うです。リハビリというよりトレーニングと呼ぶ方がふさわしいく
らいのプログラムによって鍛えられた体は、スーツに包まれていて
もよくわかりました。
松井氏は、巨人軍とヤンキースという名門チームで長きにわたり主
軸を務め、功成り名遂げた選手でありながら、「誇れることは、素晴
らしい指導者、チームメイト、ファンに恵まれたこと」という驕る
ことのない感謝のスピーチには、涙腺が緩むとともに人格者として
の素晴らしさに心から感服しました。
 
最後の始球式は、ファンが一番楽しみにしていたイベントではなか
ったでしょうか。
「4番、サード、長嶋茂雄。背番号3」のアナウンス(できれば「長
嶋」の方がよかった・・・)と地鳴りのような歓声に導かれ、ユニ
ホーム姿の長嶋監督がバッターボックスに向かいます。バットを持
つのは左手一本とはいえ、打つ気満々の構えは現役時代そのもの。
内角高めに浮いたボールにバットは空を切りましたが、力強いスイ
ングには、「ボールを打てるまでに回復した姿をファンに見せたかっ
た」という気持ちと、野球人としての本能が宿っていました。
 
本物のスターの輝きを見ることができた素晴らしいセレモニーでし
た。松井氏が師の後を継ぎ、再び巨人軍のユニホームを着る日が来
ることを楽しみにしています。
 
 
今朝のお供、
吉井和哉(日本のミュージシャン)の『After The Apples』。
ライヴの興奮を思い出しながら。

                       (佐々木 大輔)
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