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司法書士 田口司法事務所 スタッフブログ

 

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モネと光

No.159  平成29年3月21日(火)

 

秋田市にも少しずつ春が近づいてきたようです。春の陽気に誘われ

るように、先日モネの絵画を見たくなり、手持ちの画集をいろいろ

ひっくり返し、モネの作品を探しました。

 

クロード・モネ。私が説明するまでもありませんが、印象派を代表

する画家です。

「印象派」という言葉自体が生まれたのも、のちに「印象派」と呼

ばれることとなる画家たちが開いた「第1回印象派展」―この時点

では「印象派」という言葉はまだなく、「画家彫刻家版画家協会展」

という展覧会だったそうですが―をたまたま見たある評論家が、出

品されたモネの『印象―日の出』を引き合いに、「印象のままに描
た落書き」として展覧会自体を酷評したことがきっかけと言われ
います。

この酷評がかえって周囲の耳目を集め、「印象派」という言葉が広
知られるようになりました。しかし当の評論家も、この嘲りを含
だ悪名が、その後これほどまでに重要な意味を持つ存在になると
想像もしていなかったでしょうけれど。

 

一方で、モネらもこの酷評を逆手に取り、自分たちは「印象こそを

大切にして描いているのだ」として、自ら積極的に「印象派」を名

乗ったといういきさつもあります。

 

それにしても、モネほど光を追い求め、作品に投影した画家はいな

いのではないでしょうか。

モネが戸外にイーゼルを立て、自然に身を置き風景を描いていたこ

とはあまねく知られた事実ではありますが―持ち運び可能なチュー

ブ入り絵の具の発明が後押しした側面もあるでしょう―、これは画

期的なことで、当時は風景画も記憶やスケッチを頼りにアトリエで

描かれるのが当たり前でした。

 

あふれるような光と自然に対する賛美を描いた作品を見ると、よく

評されるように、実際にモネの制作現場に立ち会っているような気

持ちに満たされます。

太陽の光の下で描かれたモネの作品は、長い冬を超え、暖かな日差

しに焦がれる秋田の春に、喜びを重ねてくれます。

 

 

今朝のお供、

エド・シーラン(イギリスのミュージシャン)の『÷(divide)』。

流行の音であろうと、何であれ、良いものは良いのです。

                       (佐々木 大輔)

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アンリ・ルソーがくれた夢

No.141  平成27年9月7日(月)

 

先ごろ読んだ小説の影響で、すっかりアンリ・ルソーに夢中になっ

てしまいました。

 

ルソーの画家デビューは49歳と遅く、それ以前は税関に勤務しな

がら絵を描いていました。そのため、いわゆるアカデミックな教育

を受けておらず、遠近法などの絵画技術を身に着けていなかったよ

うです。

技術的に稚拙と言われる彼の作品は、当時の評論家から酷評され、
無審査で応募者全員の作品が展示された展覧会では、新聞等での酷

評を知った人々が作品の前に群れをなし、銘々お腹を抱えて大笑い、

中には呼吸困難に陥った人もいたそうです。

しかし、晩年には、ルソーを評価する評論家や画家仲間も現れ、特

にピカソに影響を与えたというエピソードは、間接的にルソーの評

価を高める契機となりました。

とはいえ、未だ「日曜画家」「(画家ではなく)税関吏ルソー」な
と揶揄されることも多く、その評価が定まっているとはいえませ
ん。

 

先に挙げた小説には、ルソー(と彼に関わった人々)のエピソード

がふんだんに盛り込まれていて、ルソーを好きな方にはお馴染みの

話でも、浅学な私にとっては初耳の話も多く、人間ルソーを知るき

っかけとなりました。

 

ルソーの作品といえば、私にとって、『蛇使いの女』、『詩人に霊
感を
与えるミューズ』、『夢』など、ジャングルを描いた絵のイメ
ージが
強く、これらの作品を、「あの葉陰には見たこともないよう
な気味の
悪い生き物が潜んでいるのではないか」、「そんなじめじ
めとした茂
みの中に、裸で体を横たえることに抵抗はないのだろう
か」などと
つまらぬ想像や心配をしながら、どこか怖いものみたさ
で鑑賞して
いるところがありました。

改めて作品を見てみると、ルソーは大好きな自然を克明に描くため、

多種多様な緑色(作品によっては21種類も使用しているとのこ

と!)を使い分けており、その執念にも似た凄みが作品から伝わっ

てきます。

もっとも、神秘的でグロテスクな作品という印象は変わらないけれ

ど。

 

―情熱がある。画家の情熱のすべてが―

(原田マハ著『楽園のカンヴァス』)

登場人物が発したこの言葉のとおり、小説を読んでいる間、ルソー

が絵にかけた情熱、その作品を心から愛する人々の情熱にほだされ

て、ルソーと時代を共にしたような、夢を見ているように幸せな時

間を過ごすことができました。

夢から覚めた今は、時間ができると、手持ちの画集やインターネッ

トからルソーの絵を探し出し、“夢をみた”余韻に浸っています。

 

 

今朝のお供、

Blur(イギリスのバンド)の『The Magic Whip』。

                       (佐々木 大輔)

マーク・ロスコ

No.134  平成27年2月2日(月)

 

最近、マーク・ロスコの画集を手に取ることが多くなりました。

 

ロスコは、生前、もっぱら人間の基本的な感情(悲劇、忘我、運命)

を表現することに関心を寄せ、自分が絵を描くことは「自己表現で

はなく他人に向けたコミュニケーションである」と定義していまし

た。鑑賞者とのコミュニケーションを作品の根幹におくことから、

鑑賞者の内面を映す鏡のような作品と評されることもあるようです。

 

ロスコの作品には、タイトルがついていないもの(『無題』と題さ
たもの)が多いため、「何が描かれている作品か」ということを
推測
する手掛かりがありません。一方で、タイトルが無いことは、
作品
の見方を限定されずに鑑賞できるという利点もあります。

 

海外では、悲劇性が強調されて受けとめられることもあるとのこと

ですが、私の場合、ロスコの作品を観ることで、意識が自己の内な

る深淵へとゆっくりと導かれ、自分を見つめ直すきっかけとなり、

その結果、様々な物事や感情が整理されて心が穏やかになっていく

ことに魅力を感じます。

 

ある本には、「多くの人は、ロスコの作品を右脳で鑑賞しているよ
だ」と書かれていました。

言語や論理をつかさどる左脳と、感覚や感情をつかさどる右脳。

とすれば、ロスコの作品は、日々文章と向き合う仕事をしている私

にとって、理屈から感性へ、仕事脳からプライベート脳へ、スイッ

チを切り替えてくれる効果があるのかもしれません。

 

千葉県佐倉市にある川村記念美術館には、ロスコの『シーグラム壁

画』と呼ばれている作品群のうち、7点が収蔵されています。

『シーグラム壁画』は、もともと、「最高の料理と現代アートをと
に提供する」というコンセプトで創設されたレストランから、ロ
コが一室の装飾を依頼されて作成したものでした。

ところが、レストランの雰囲気に幻滅したロスコが、契約を破棄し

てしまったため、これらの作品群は一旦お蔵入りとなってしまいま

す。

その後、9点がロンドンのテイト・ギャラリー(テイト・モダン)

に寄贈され、1990年には川村記念美術館が7点を購入したこと

により、これらの作品群を鑑賞することができるようになりました

(残りはワシントンDCのナショナル・ギャラリーなどが所蔵)。

テイト・モダンと川村記念美術館では、これらの作品群のために、

ロスコが望んだとおり、ロスコの作品のみを展示した一室を設けて

います。

 

ロスコ作品のみが飾られた空間を持つ美術館は、上記の美術館をあ

わせても、世界でたった4つだけです。

いつかこれらの美術館を巡る旅をしてみたいものです。

 

※本文の情報は、私の所有している海外版の画集や書籍から得たも

のであり、もしも誤りがあるとすれば、その全ては私のつたない語

学力に起因するものであることをお許しください。

 

 

今朝のお供、

SEKAI NO OWARI(日本のバンド)の『Tree』。

久しぶりに現れたヒットチャートを駆け抜ける若いバンドにワクワ

クしています。

青さも感じるけれど、求める音に対してはもっと尖っていけばいい。

 

(佐々木 大輔)

大原美術館展

No.128  平成26年9月8日(月)

 

先日、秋田県立近代美術館に『大原美術館展』を観に行ってきまし

た。倉敷市にある大原美術館にはなかなか行く機会が無く、大原美

術館所蔵の作品を観るのは、宮城県美術館に『大原美術館展』を観

に行って以来9年振りです。

 

今回の『大原美術館展』、エル・グレコの「受胎告知」やカンディ
スキーの「先端」が貸し出されていなかったのは残念でしたが
(特
にカンディンスキーは、観られるものと思って行ったものです
ら・・・)、珠玉の作品、セガンティーニの「アルプスの真昼」
を観
ることができました。

 

雲ひとつなく晴れ渡った空の鮮やかな青。広がる草原は、降り注ぐ

アルプスの陽光に輝いています。

遠くに見える山脈。

白い山羊と白樺の枝。

画面中央で(白樺に身を預けて)休む女性。

観れば観るほど完璧な構図です。

絵に近づいて観ると、草の一葉ごとに絵具が置かれており、一葉一

葉独立して光を映していますが、少し離れると、色が混じり合い調

和されて、草原全体で眩い光を放ちます。

 

実は、前回仙台で観た時はあまり魅力を感じなかった「アルプスの

真昼」。はたして、9年前はそれほど心を動かされなかった絵に、
ぜこうも惹かれるようになったのか。

 

前回鑑賞した時は、漠然としたものでしたが、あふれる光の裏にど

ことなく漂う「陰り」を感じたのです。

闇がある、とまでは言い過ぎかもしれませんが、光は潜在的に影の

存在を意識させるものです。

 

この「陰り」に少しずつ心を捉われていった9年間。

調べてみると、彼の画風は、暗い色調の初期から、分割主義という
技法(パレット上で色を混ぜ合わせないで、一筆一筆を細かくぬり
かさねて描くという技法)を用いた明るい色調の中期、そして象徴
主義の代表的な画家となった後期へと変わっていったとのことです。
初期の暗い色調の画風には、彼自身の生い立ちが影響しているとす
る説もあります。

 

「アルプスの真昼」は中期の作品です―セガンティーニには、同時

期に描いた同じタイトルの姉妹作があり、そちらの絵はセガンティ

ーニ美術館(スイス)に所蔵されています―

彼は、暗い影を振り払い、光の画家へとすっかり変化することがで

きたのか。それとも、画風はいかに変化しようと、どこまでも暗い

影をまとい続けたのか。

今回の美術展で鑑賞した感想から、私は後者のような気がしてなり

ません。

もちろん、これは、多分に個人的なセンチメンタリズムに起因する

ものであり、全くもって確証があるものではないのですが。

 

 

今朝のお供、

アデル(イギリスのミュージシャン)の『19』

                     (佐々木 大輔)

藤田嗣治

No.109  平成25年10月7日(月)

 

去る9月28日、秋田県立美術館(新県立美術館)が本オープンし

ました。

一番の注目は、5枚の絵から成る藤田嗣治の大壁画『秋田の行事』。

8月31日の早朝、平野政吉美術館からの搬出入が細心の注意をも

って行われ、移設は無事に完了しました。

私は『秋田の行事』が大好きで、県外に住んでいた頃も、帰省する

と平野政吉美術館へ観に行きました。平野政吉美術館は建築として

も味わいがあり、絵を観るだけではなく、訪れることにも楽しみが

ありましたので、この度の移設には一抹の寂しさを覚えます。

しかし、新県立美術館を設計した安藤忠雄氏は、平野政吉美術館の

特徴ある屋根と丸窓が、館内のカフェから見えるように設計してお

り、平野政吉美術館も秋田が誇る芸術作品として尊重されています。

 

「世界一巨大な絵を、誰にもできないような速さで仕上げて見せま

しょう」。

平野政吉から依頼を受けた藤田はこのように答え、『秋田の行事』の

製作に着手しました。普段は絵を描く姿を他人に見せない藤田が、

この時ばかりは押しかける見物人を一向に気にすることなく、とき

には見物人に竿灯を上げるポーズをとらせるなど、むしろ注目され

ることを楽しんでいたようだとの証言も残されています。

米蔵を改造したアトリエで、秋田民謡を絶え間なく流しながら、下

書きもせず一気呵成に描き上げ、最後に「一九三七 昭和十二年自

二月二十一日 至三月七日 百七十四時間完成」と記して絵筆を擱

きました。藤田も壁画の完成に興奮したのでしょう、飲めないお酒

をおちょこで2杯飲んだとの記録もあります。

 

しかし、『秋田の行事』は、大戦の影響を受け、完成後30年もの間

平野家の米蔵で眠ったままとなり、ようやく公開されたのは、平野

政吉美術館が完成した1967年(昭和42年)、藤田の亡くなる前

年のことでした。

 

もちろん、私は『秋田の行事』だけではなく、他の藤田作品も大好

きです。2006年に生誕120年を記念して、東京国立近代美術

館で開かれた世界最大規模の藤田嗣治展を、雨の中2時間待ちで鑑

賞したことも思い出です。

藤田の描く女性は、表情の乏しさがかえって陶器のような美しさを

印象付けますが、晩年の代表作『カフェ』に描かれた頬杖をつく女

性は、珍しく憂いを湛えた表情を持ち、蠱惑的な色気に満ちていて、

絵の前から動けなくなるほどでした。

 

日本画壇との軋轢により、大戦が終わるとフランスに戻り(のちに

帰化)、再び日本の地を踏むことはなかった藤田ですが、彼の作品が

秋田に多数残されていることは、我が故郷の誇りです。

今朝のお供、

My Bloody Balentine(アイルランドのバンド)の『Loveless』。
 
                       (佐々木 大輔)
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