忍者ブログ

司法書士 田口司法事務所 スタッフブログ

 

カレンダー

04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

ブログ内検索

バーコード

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

絵本のはなし

No.146  平成28年2月15日(月)

 

年が明けてから、あまり明るいとはいえないニュースが続き、また、

人々の過剰な反応にも息苦しさを感じておりましたが、そんな中、
人の間で絵本が再び注目されているという記事にふと目を奪われ
した。

私は、絵本のことを思うと懐かしさがこみ上げ、不思議と穏やかな

気持ちになります。

私が大人になった今も読書好きである原点には、幼い頃、両親から

読み聞かせてもらった絵本の体験があります。

楽しい絵本、美しい絵本、そして怖い絵本。

なかでも特に思い出に残っているのは、せなけいこ著『ねないこ 
だれだ』
です。親が子を寝かしつけるためのいわゆる教育絵本とい
うも
のでしょうか。

 

夜の9時。

「とけいが なります ボン ボン ボン…」

「こんな じかんに おきてるのは だれだ?」

「ふくろうに みみずく」

「それとも どろぼう」

「いえ いえ よなかは おばけの じかん」。

挿絵は切り絵で、ふくろうや泥棒が何とも言えない不気味さを醸
ています。

パジャマ姿でぬいぐるみを持って夜更かしをしている男の子、最後

はおばけに連れられて(男の子もおばけのシルエットになって)、
空に飛んで行ってしまいます。


とても怖い絵本でした。にもかかわらず、怖いもの見たさもあった

のか、毎日のように「読んで、読んで」とせがんだと聞いています。

絵本の余白には、幼い私が書いた字とも絵ともつかない書き込みが

たくさんあります。いたずら書きのようですが、よく見ると「これ

はふくろうを描きたかったんだろうな」と思わせるような書き込み

があったり、ストーリーを追いかけるように線が引いてあったり、

改めて手に取ってみても、本当にお気に入りの絵本だったんだなあ

ということが分かります。

 

江國香織はその著書『絵本を抱えて 部屋のすみへ』の中で、子供

の頃に部屋の隅で遊んでいると、もっと真ん中で遊びなさいと言わ

れたことを引き合いに、「でも部屋というものは、まんなかとすみ
は時間の流れ方も空間の質も全然ちがうわけで、絵本のなかのそ
とは、あきらかに部屋のすみの方が近いのでした」と書いていま
す。

 

私の場合、少し大きくなって自分で絵本を読むようになってからは、

部屋のどこで絵本を広げて読んでいたのか覚えていませんが、幼い

頃は、寝る前に布団の中で読んでもらうのが好きでした。

その影響が残っているのでしょう、今も読書をするのに一番落ち着

く場所は、カフェでもバーでもソファでもなく、ベッドの中です。

 

 

今朝のお供、

デヴィッド・ボウイ(イギリスのミュージシャン)の『★(ブラッ

クスター)』。

ボウイは最期まで変わらなかった。「マンネリ」という意味ではな
く、
常に進化を続ける姿勢を貫いたという意味で。

たくさんの色気と華と毒をありがとうございました。ご冥福をお祈

りします。

 

                       (佐々木 大輔)

 

 

PR

辞書を読む

No.144  平成27年12月7日(月)

 

先日、寄席に行ってきたという友人の影響で、私も立川志の輔氏の

現代落語『バールのようなもの』を楽しみました。

 

主人公が、ニュースなどでよく耳にする「バールのようなもの」と

はどんなものなのかを知りたくて、物識りの隠居へ相談に行くとこ

ろから噺は始まります。

隠居に、「のような」という言葉を名詞の後ろに付けて「○○のよ
な」と言えば、それは○○とは似て非なるものである―何かを食
て「肉のような味がする」と言えば、その食べ物は「肉」ではな
というように―と教わった主人公が、奥さんに浮気の言い訳をす
際、浮気相手のことを「妾ではなく“妾のようなもの”だ」と言
たところ、「それは妾以外の何ものでもない。馬鹿な言い訳をす
るも
んじゃない」とかえって奥さんを怒らせてしまい、「バールの
ような
もの」で殴られるというオチの噺です。

 

果たして「のような」とは隠居の説明どおりの意味なのか気になっ

た私は、さっそく辞書を引いて「よう(な)」の意味を調べてみる
と、
いくつかの定義と用例が並んでいる中に、

―(接尾語的に)…らしく見えるもの。…といったもの。
「刀剣―の
凶器」―(『広辞苑』)

とあります。

なるほど。これが隠居の言っていた意味でしょう。

さすがに用例として「バールのようなもの」とは載っていませんが、

それにしても辞書というのは物識りですねえ。別に上の隠居と掛け

て擬人化するわけではありませんが、辞書も結局は人が作ったもの

です。

 

数年前、辞書製作の裏側を舞台とした三浦しをん氏の小説『舟を編

む』(第9回本屋大賞受賞)が話題となりました。小説ですから多
なりともデフォルメされているものかと思いきや、『三省堂国語
典』の編纂者である飯間浩明氏の著書『辞書を編む』を読むと、
際の辞書は、小説の登場人物を凌ぐほどの猛者たちによって作ら
ていることが分かります。

用例集めは昼夜を問わず、テレビ番組は録画して確認することを原

則とし、新聞は言わずもがな、ファッション雑誌に出てくる造語、

女子高生の会話まで、気になる言葉はすべてメモを取り、その使わ

れ方、使用頻度を調査したうえで、採用する言葉、その語釈を決定

するのだそうです。

 

誰もが知っている言葉でありながら説明の難しい言葉を、いかに分

かりやすく説明(語釈)するか。それぞれの辞書が最も腐心する部

分です。

たとえば「右」という言葉について、多くの辞書では、「南を向い
時、西にあたる方」(『広辞苑』)のように、方角を用いた説明
がなさ
れている中、『岩波国語辞典(初版)』の「この辞書を開い
て読む時、
偶数ページのある側」という説明は、画期的な名語釈と
して語り継
がれているそうです。しかしこの名語釈も、電子辞書の
時代には通
じなくなるおそれがあります。

 

言葉の専門家をもってしても、分かりやすくものごとを伝えること

は一生の課題なのかもしれません。時代にあわせて伝え方を変える

必要も出てくるでしょう。

仕事はもちろん当ブログでも、分かりやすく簡潔に伝えることがで

きるよう、私もすべからく努力していく所存です。

「辞書のようなもの」ではなく、「辞書」を目指して。

 

 

今朝のお供、

アデル(イギリスのミュージシャン)の『25』。

 

                       (佐々木 大輔)

芥川賞

 No.140  平成27年8月10日(月)

 

先月、お笑い芸人又吉直樹氏の著作『火花』が、第153回芥川賞

を受賞したことで大きなニュースとなりました。又吉氏が敬愛する

作家太宰治が受賞できなかった芥川賞を受賞したことで、「太宰超

え」などという見出しも躍ったほどです。

 

芥川賞と直木賞。又吉氏の受賞報道で説明し尽くされた感はありま

すが、誤解を恐れずおおざっぱにいえば、芥川賞は、新人の登竜門

であり純文学作品に対して与えられるもの。これに対して直木賞は、

大衆文学賞であることから、ある程度キャリアがあり人気を確立し

た作家の作品に与えられることが多い賞です。

とはいえ、80年以上の歴史を誇る両文学賞ですから、例外もあり

ます。たとえば、純文学作家である井伏鱒二は、『ジョン萬次郎漂
記』で芥川賞ではなく直木賞を受賞していますし、のちに社会派
ミステリー
の大家として名を成す松本清張は、「或る『小倉日記』
伝」で
反対に芥川賞を受賞しています。

 

また、大江健三郎氏が、東大在学中、デビュー作「死者の奢り」で

芥川賞候補になった半年後、「飼育」で再び候補になった際、選考
員からは「(前回の候補から)半年の間に流行作家となった大江
君が
受賞すれば、新人賞としての意味がぼやけてしまう」との声が
上が
ったそうです(結局、「飼育」で受賞)。新人の基準に厳格な
時代も
あったのですね。

一方で近年、すでに他の文学賞も多く受賞し、10年を超えるキャ

リアを持っていた阿部和重氏が芥川賞を受賞しており、阿部氏は

「(キャリアのある自分が)新人に与えられる賞を受賞したことは、

手放しで喜べない」と複雑な気持ちを吐露していました。

 

芥川賞には長い歴史がありますから、このほかにもさまざまなエピ

ソードが残されていますが、最大の事件といえばやはり冒頭に触れ

た太宰の落選でしょう。

第1回の候補となった太宰の「逆行」。敬愛する芥川龍之介の名を
した文学賞を、熱烈に欲した太宰でしたが―実際は、賞そのもの
りも、借金返済のために副賞の賞金が目当てだったという生々し
い話も―選考委員の1人であった川端康成が「作者目下の生活に
な雲ありて」と、太宰の私生活の乱れを指摘したこともあり落選。
この選評を知った太宰は烈火のごとく怒り、「小鳥を飼ひ、舞踏を
るのがそんなに立派な生活なのか。刺す。さうも思つた」と川端
対する恨みつらみを文芸誌に寄稿し騒動となりました。

 

太宰ファンとしては苦笑いするしかないエピソードですが―それに

しても太宰の文章は、引用した悪口ひとつとっても、リズムが優れ、

切れ味も抜群です―後日談として、川端は後年の太宰を評価してい

たということですから、先輩作家として、才能ある太宰が受賞を機

に、さらに堕落していくことを気にしたのかもしれません。

ちなみに、太宰が逃した第1回の受賞作は、秋田県出身の作家石川

達三の『蒼氓』です。

 

同じ太宰ファンとして、私が又吉氏に親しみを感じたきっかけは、

あるテレビ番組で又吉氏が語っていた「最も影響を受けた太宰の言

葉」が、私の好きな言葉(No.15)と同じだったことです。

ところで、私はまだ件の『火花』を読んでおりません。

読まずに“作家又吉直樹”について何かを語ることは失礼に当たり

ますから、今回はこの辺で。

 

 

今朝のお供、

U2(アイルランドのバンド)の
How to Dismantle an Atomic Bomb』。

(佐々木 大輔)

死神の精度

No.138  平成27年6月8日(月)

 

―俺が仕事をすると、いつも降るんだ―

 

そろそろ梅雨の時期ですね。雨の季節になると思いだす言葉、伊坂

幸太郎の短編集『死神の精度』の文庫版に書かれたキャッチコピー

です。

 

小説の主人公である千葉は、クールな死神。

死神界の「調査員」である千葉の仕事は、定期的に人間界に派遣さ

れ、ターゲットとなっている人間を7日間観察し、その生死を決定

するというもの。そして千葉が仕事をする時、いつも雨が降ってい

ます。

 

登場する死神は、千葉に限らず、皆システマチックに仕事をこなし、

情に流されることもないので、ほとんど例外なく「可」、すなわち
ーゲットについて「死」の判断を下すこととなります。

 

千葉は人間界の常識や価値観に疎く、話す内容もちょっとずれてい

て、人間との会話が微妙にかみ合いません。

そればかりか千葉は、(人間にとっては)気取ったセリフも大真面
で口にしますが、死神が発する言葉と思えば不思議と嫌味もこそ
ゆさもありません。むしろ、ちょっと可笑しいくらい。

そんな千葉が、仕事のためとはいえ、あるときは名探偵さながらに

殺人事件の推理を展開し(「吹雪に死神」)、そうかと思えばター
ゲッ
トの恋愛相談にも応じ(「恋愛で死神」)、さらには美容院を
ひとりで営む老女
の奇妙なお願いまでも聞き入れます(「死神対老
女」)。

 

本作品は連作短編集であり、収められた各短編はそれぞれ関連して

います(どのように関連しているかは、読んでからのお楽しみ)。

素敵な場面はたくさんありますが、私が最もお気に入りなのは、
「晴
れを見た例しがない」千葉が、初めて晴天を望んだとき、隣に
並ん
で眩しそうにするターゲットの顔を見て、「人間というのは、
眩しい
時と笑う時に、似た表情になるんだな」とつぶやく場面。そ
れに対
して、「眩しいのと、嬉しいのと。(言われてみれば、意味
合いも)
似てるかも」と応じるターゲット。

全編雨雲が垂れ込めた世界に差し込んだ爽やかな光には、希望が宿

り、胸が躍ります。

 

 

今朝のお供、

Creedence Clearwater RevivalCCR。アメリカのバンド)の曲

「雨を見たかい」。
 

(佐々木 大輔)

みそひともじ

No.136  平成27年4月6日(月)

 

三十一文字。みそひともじ。

制約の中で世界を表現する。

私自身は短歌を詠みませんが、祖母が日常生活や孫たちの成長を折

に触れて詠んでいましたので(今でも現役で詠んでいます)、幼い
ろから短歌をわりと身近に感じてきました。

 

私が好きな春の歌のひとつに、俵万智氏の作品で、

「ふうわりと並んで歩く春の道 誰からもみられたいような午後」

という歌があります。

穏やかな春の日差しの中、幸せに包まれたカップルの誇らしげな気

持ちが伝わってくる良い歌ですね。

このふたりは付き合いはじめてまだ日が浅いのかな。世界中に愛を

叫ぶような力強さではなく、誇らしさの中にほんのりとした気恥ず

かしさも包含されているように感じられます。

 

この歌が完成形として歌集に収められるまでには、当たり前ですが、

何度も手直しを行ったと俵氏もその著書『短歌をよむ』で解説して

います。

初稿の上の句は「ふうわりとふたり並んで歩く道」だったそうです

が、なんとしても春の気分を表したくて、上の句を「ふうわりと並

んで歩く春の道」と直したところ、初稿の「ふうわり」「ふたり」
「ふ」の響きあいも捨てきれず、「ふうわりとふたりで歩く春の
道」
へと再修正。しかし、「ふたりで」と説明するよりも、「並ん
で」と
いう言葉から「ふたり」を想像する方が素敵であると考え、
歌集に
収めた形がベストであると判断したとのことです。

 

短歌は、文章を書く上でも大変参考になります。

説明しすぎないこと。簡潔、かつ、読む人の想像に働きかける表現

を心がけること。

伝えたい気持ちが溢れて、言葉が過剰になってしまうこともありま

す。一方、仕事の上では潤いのない文章を書かざるを得ない場面も

あります(私の場合はほとんどかもしれません)。

 

短歌を観賞することは、研ぎ澄まされた言語表現の豊潤さを味わい

ながら、言葉の奥深さに唸らされるとともに、自分の書いた文章
(言
葉)と徹底的に向き合い、何度も修正を重ねることの大切さを
教え
てくれます。

 

 

今朝のお供、

サザンオールスターズの『葡萄』。

忘れたいことばかりの春だから ひねもすサザンオールスターズ

―俵万智

                       (佐々木 大輔)
Copyright©No Name Ninja, All Right Reserved.
Powered by : Ninja Blog
Template-Design : ガスボンベ