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司法書士 田口司法事務所 スタッフブログ

 

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F1

No.88  平成24年10月15日(月)
 
先週は、素晴らしいニュースとして、山中伸弥教授のノーベル医学
生理学賞受賞がありました。安全性や倫理面での課題はありますが、
iPS細胞は、再生医療の実現や難病の治療に向けて大きな一歩とな
るでしょう。
 
もうひとつ、喜ばしいニュースがありました。
先日のF1鈴鹿グランプリで、小林可夢偉選手が見事表彰台を獲得。
90年鈴鹿GPでの鈴木亜久里、04年アメリカGPでの佐藤琢磨
に続き、日本人として3人目の快挙です。
 
90年鈴鹿GPといえば、F1ブーム真っ只中。当時中学生だった
私は、テレビ(たしか、ゴールデンタイムに放送)で観戦していま
した。
鈴鹿GPは毎年終盤に開催されるため、熾烈なドライバーズチャン
ピオン(選手の年間チャンピオン)争いが繰り広げられます。
90年も、アイルトン・セナとアラン・プロスト(前年まではフェ
ラーリの同僚同士)が、3年連続でドライバーズチャンピオン争い
をしていました。
ところがこの両者、スタート直後の第1コーナーでクラッシュ。
注目を集めていたスター選手ふたりが、あっという間にリタイヤし
てしまうという波乱により、観客席にも失望感が広がる中、大活躍
したのが、中嶋悟、鈴木亜久里の日本人選手でした。後年、実際に
鈴鹿でこのレースを観戦した人の話を聞くことができたのですが、
セナとプロスト目当てだった観客も、最後は一体となって日本人選
手を応援し、日本人初の表彰台獲得となった鈴木亜久里の3位入賞
には、文字どおり鈴鹿が興奮と歓喜で揺れていたそうです。
 
一方で残念なニュースも。
ミヒャエル・シューマッハの二度目の引退が決まりました。
私はシューマッハと同じ誕生日ということもあって、ずっと応援し
ていました。
06年の引退後、10年に復帰してからは、優勝はありませんでし
たが、F1生涯優勝回数91回、ドライバーズチャンピオン7回の
記録は、おそらく今後も簡単には破られることはないでしょう。
 
 
今朝のお供、
MUSE(イギリスのバンド)の『THE 2ND LAW』。

                       (佐々木 大輔)
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