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4月
No.148 平成28年4月18日(月)
熊本県を中心として九州地方で大きな地震が頻発しています。
被災された方々が一日も早く日常を取り戻すことができますことを
お祈りするとともに、亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
今回のブログでは、私の好きな1枚の絵画について書くつもりでし
たが、またの機会に書かせていただきます。
昨日までと変わらずお仕事をさせていただけること、好きな絵画を
観賞したり趣味を楽しむことができる毎日に感謝しなければなりま
せん。
私も昭和58年の日本海中部地震、平成16年の新潟県中越地震を
経験しました。
地震等の自然災害は、何の前触れもなく、いつ何時起こるか分かり
ません。ひとたび起きてしまえば、人々の生命、財産、日々の生活
が簡単に奪われてしまう危険を孕んでいます。
四季折々の美しき風景を育む豊かな自然は、日本が世界に誇る財産
ですが、常に穏やかであるとは限りません。
東日本大震災から5年が経過しましたが、改めて防災に対する意識
を高め、生活していく必要があるでしょう。
今朝のお供、
レッド・ガーランド(アメリカのジャズピアニスト)の『RED IN
BLUESVILLE』。
親しくしていただいている方からお借りしたレコードのうちの1枚。
この人の演奏は、リーダーアルバムでも我を通さず、さりげなく主
役を演じ終えたら、すっと脇役に花を持たせるようで好感が持てます。
(佐々木 大輔)
レコード芸術
No.147 平成28年3月14日(月)
先日、指揮者の小澤征爾氏が、ラヴェル作曲のオペラ『こどもと魔
法』でグラミー賞最優秀オペラ録音賞を受賞しました。8回目のノ
ミネートで初受賞ということですが、小澤氏の場合、そのキャリア
においてグラミー賞以上の栄誉を得ているため、受賞には今さら感
がありますが、西洋芸術文化の集大成ともいえるオペラ部門での受
賞となると、やはり快挙と言わざるを得ません。
嬉しいニュースが届いた一方、年明けから、ピエール・ブーレーズ
(作曲家・指揮者)やニコラウス・アーノンクール(指揮者)とい
った現在のクラシック音楽界に多大な影響を与えた音楽家が、相次
いで鬼籍に入りました。私がクラシック音楽を聴き始めた頃に大ス
ターだった音楽家たちの訃報を聞くたび、時代の移り変わりを感じ、
切なくなります。
最近、友人知人と音楽談義をする機会が多くなり、音楽を聴き始め
た頃の初々しい気持ちを思い出し、当時聴いていた録音を久しぶり
にあれこれ聴いていたところでしたので、余計に寂しさが募ります。
ブーレーズもアーノンクールも、生演奏をついぞ聴く機会がなく終
わってしまった私にとって、両巨匠は永遠にレコードの中の住人と
なってしまいました。それでも、今は亡き音楽家の演奏を繰り返し
聴くことができることは、まさにレコード芸術の粋でしょう。
私は音楽を聴くにあたり、CDよりもレコードに手が伸びることは、
当ブログでも何度か触れてきました。
私が思うレコードの魅力は、科学的なことは分かりませんが「音の
円さ」、そしてジャケットサイズです。
音楽配信が主流となった現代において、重くかさ張るレコードは、
過去の遺産のようなものですが、私は、30センチ四方のジャケッ
トをためつすがめつしながら聴かなければ、音楽を聴いた気がしな
いのです。
シャガールが友人ロストロポーヴィチ(チェリスト・指揮者)の西
側デビューを祝い描き下ろしたシェエラザードのジャケット絵画、
PINK FLOYD(イギリスのバンド)のイメージと切り離すことが
できないヒプノシスの作品・・・眺めながらニヤニヤしたり、時に
は頬ずりしたり―中学時代、欲しいレコード(CD)を購入した時
は嬉しくて本当に頬ずりしていました―しながら聴いている姿は、
とても人に見せられるものではありませんが。
また、レコードは片面の収録時間が20~30分というのもちょう
どいい長さです。たとえば、お酒を飲みながら音楽を聴く場合でも、
グラス1杯のお酒を飲みながら片面を聴き、もう1杯とともに裏面
を聴く。あるいは、片面を聴きながらハンドドリップでコーヒーを
淹れ、裏面を聴きながら淹れたてのコーヒーを飲む。
いずれも至福の時間です。
近年、レコードの復興と言われ、昨年の国内売り上げをみても、C
D等音楽ソフトの売り上げが軒並み前年割れとなる中、レコードだ
けは売上枚数が前年比165%、売上額も同173%となっていま
す。この調子で、若い音楽ファンにもぜひレコードの魅力を知って
もらえればと思います。
でも、私が欲しいレコードは、私に入手させてくださいね。
レコードはすぐに売り切れてしまいますから。
今朝のお供、
ビリー・ジョエル(アメリカのミュージシャン)の『ピアノ・マン』。
ジャケットが怖い。レコードサイズだともっと怖い。
中身は名盤です。
(佐々木 大輔)
絵本のはなし
No.146 平成28年2月15日(月)
年が明けてから、あまり明るいとはいえないニュースが続き、また、
人々の過剰な反応にも息苦しさを感じておりましたが、そんな中、
大人の間で絵本が再び注目されているという記事にふと目を奪われ
ました。
私は、絵本のことを思うと懐かしさがこみ上げ、不思議と穏やかな
気持ちになります。
私が大人になった今も読書好きである原点には、幼い頃、両親から
読み聞かせてもらった絵本の体験があります。
楽しい絵本、美しい絵本、そして怖い絵本。
なかでも特に思い出に残っているのは、せなけいこ著『ねないこ
だれだ』です。親が子を寝かしつけるためのいわゆる教育絵本とい
うものでしょうか。
夜の9時。
「とけいが なります ボン ボン ボン…」
「こんな じかんに おきてるのは だれだ?」
「ふくろうに みみずく」
「それとも どろぼう」
「いえ いえ よなかは おばけの じかん」。
挿絵は切り絵で、ふくろうや泥棒が何とも言えない不気味さを醸し
ています。
パジャマ姿でぬいぐるみを持って夜更かしをしている男の子、最後
はおばけに連れられて(男の子もおばけのシルエットになって)、
夜空に飛んで行ってしまいます。
とても怖い絵本でした。にもかかわらず、怖いもの見たさもあった
のか、毎日のように「読んで、読んで」とせがんだと聞いています。
絵本の余白には、幼い私が書いた字とも絵ともつかない書き込みが
たくさんあります。いたずら書きのようですが、よく見ると「これ
はふくろうを描きたかったんだろうな」と思わせるような書き込み
があったり、ストーリーを追いかけるように線が引いてあったり、
改めて手に取ってみても、本当にお気に入りの絵本だったんだなあ
ということが分かります。
江國香織はその著書『絵本を抱えて 部屋のすみへ』の中で、子供
の頃に部屋の隅で遊んでいると、もっと真ん中で遊びなさいと言わ
れたことを引き合いに、「でも部屋というものは、まんなかとすみ
では時間の流れ方も空間の質も全然ちがうわけで、絵本のなかのそ
れとは、あきらかに部屋のすみの方が近いのでした」と書いていま
す。
私の場合、少し大きくなって自分で絵本を読むようになってからは、
部屋のどこで絵本を広げて読んでいたのか覚えていませんが、幼い
頃は、寝る前に布団の中で読んでもらうのが好きでした。
その影響が残っているのでしょう、今も読書をするのに一番落ち着
く場所は、カフェでもバーでもソファでもなく、ベッドの中です。
今朝のお供、
デヴィッド・ボウイ(イギリスのミュージシャン)の『★(ブラッ
クスター)』。
ボウイは最期まで変わらなかった。「マンネリ」という意味ではな
く、常に進化を続ける姿勢を貫いたという意味で。
たくさんの色気と華と毒をありがとうございました。ご冥福をお祈
りします。
(佐々木 大輔)
謹賀新年
No.145 平成28年1月4日(月)
明けましておめでとうございます。
今年も田口司法事務所と当ブログをよろしくお願いします。
皆さんは年末年始をいかがお過ごしでしたか?
秋田市の年末年始がこんなに暖かく雪もないのは久しぶりのことで
はないでしょうか。
私は6連休のうち、前半は出勤しましたが、後半(年明け)はおせ
ち料理に美味しいお酒を頂きながら、ゆっくり過ごすことができま
した。毎年のことながら、お腹周りが気になります。
そのほか、ラックに収まりきれていなかったレコードを整理したり、
ブルーレイレコーダーに録り溜めていた番組を整理したりと、普段
なかなかできなかった細かい整理ができて、清々しい気分で仕事始
めを迎えております。
さて、今年はオリンピック・イヤー。
アスリートの皆さんの活躍に負けないよう、私も実りある一年にす
るべく努力する所存です。
今朝のお供、
COLDPLAY(イギリスのバンド)の『A Head Full of Dreams』。
前作『Ghost Stories』から一転、明るい新作。
辞書を読む
No.144 平成27年12月7日(月)
先日、寄席に行ってきたという友人の影響で、私も立川志の輔氏の
現代落語『バールのようなもの』を楽しみました。
主人公が、ニュースなどでよく耳にする「バールのようなもの」と
はどんなものなのかを知りたくて、物識りの隠居へ相談に行くとこ
ろから噺は始まります。
隠居に、「のような」という言葉を名詞の後ろに付けて「○○のよ
うな」と言えば、それは○○とは似て非なるものである―何かを食
べて「肉のような味がする」と言えば、その食べ物は「肉」ではな
いというように―と教わった主人公が、奥さんに浮気の言い訳をす
る際、浮気相手のことを「妾ではなく“妾のようなもの”だ」と言
ったところ、「それは妾以外の何ものでもない。馬鹿な言い訳をす
るもんじゃない」とかえって奥さんを怒らせてしまい、「バールの
ようなもの」で殴られるというオチの噺です。
果たして「のような」とは隠居の説明どおりの意味なのか気になっ
た私は、さっそく辞書を引いて「よう(な)」の意味を調べてみる
と、いくつかの定義と用例が並んでいる中に、
―(接尾語的に)…らしく見えるもの。…といったもの。
「刀剣―の凶器」―(『広辞苑』)
とあります。
なるほど。これが隠居の言っていた意味でしょう。
さすがに用例として「バールのようなもの」とは載っていませんが、
それにしても辞書というのは物識りですねえ。別に上の隠居と掛け
て擬人化するわけではありませんが、辞書も結局は人が作ったもの
です。
数年前、辞書製作の裏側を舞台とした三浦しをん氏の小説『舟を編
む』(第9回本屋大賞受賞)が話題となりました。小説ですから多
少なりともデフォルメされているものかと思いきや、『三省堂国語
辞典』の編纂者である飯間浩明氏の著書『辞書を編む』を読むと、
実際の辞書は、小説の登場人物を凌ぐほどの猛者たちによって作ら
れていることが分かります。
用例集めは昼夜を問わず、テレビ番組は録画して確認することを原
則とし、新聞は言わずもがな、ファッション雑誌に出てくる造語、
女子高生の会話まで、気になる言葉はすべてメモを取り、その使わ
れ方、使用頻度を調査したうえで、採用する言葉、その語釈を決定
するのだそうです。
誰もが知っている言葉でありながら説明の難しい言葉を、いかに分
かりやすく説明(語釈)するか。それぞれの辞書が最も腐心する部
分です。
たとえば「右」という言葉について、多くの辞書では、「南を向い
た時、西にあたる方」(『広辞苑』)のように、方角を用いた説明
がなされている中、『岩波国語辞典(初版)』の「この辞書を開い
て読む時、偶数ページのある側」という説明は、画期的な名語釈と
して語り継がれているそうです。しかしこの名語釈も、電子辞書の
時代には通じなくなるおそれがあります。
言葉の専門家をもってしても、分かりやすくものごとを伝えること
は一生の課題なのかもしれません。時代にあわせて伝え方を変える
必要も出てくるでしょう。
仕事はもちろん当ブログでも、分かりやすく簡潔に伝えることがで
きるよう、私もすべからく努力していく所存です。
「辞書のようなもの」ではなく、「辞書」を目指して。
今朝のお供、
アデル(イギリスのミュージシャン)の『25』。