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司法書士 田口司法事務所 スタッフブログ

 

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大原美術館展

No.128  平成26年9月8日(月)

 

先日、秋田県立近代美術館に『大原美術館展』を観に行ってきまし

た。倉敷市にある大原美術館にはなかなか行く機会が無く、大原美

術館所蔵の作品を観るのは、宮城県美術館に『大原美術館展』を観

に行って以来9年振りです。

 

今回の『大原美術館展』、エル・グレコの「受胎告知」やカンディ
スキーの「先端」が貸し出されていなかったのは残念でしたが
(特
にカンディンスキーは、観られるものと思って行ったものです
ら・・・)、珠玉の作品、セガンティーニの「アルプスの真昼」
を観
ることができました。

 

雲ひとつなく晴れ渡った空の鮮やかな青。広がる草原は、降り注ぐ

アルプスの陽光に輝いています。

遠くに見える山脈。

白い山羊と白樺の枝。

画面中央で(白樺に身を預けて)休む女性。

観れば観るほど完璧な構図です。

絵に近づいて観ると、草の一葉ごとに絵具が置かれており、一葉一

葉独立して光を映していますが、少し離れると、色が混じり合い調

和されて、草原全体で眩い光を放ちます。

 

実は、前回仙台で観た時はあまり魅力を感じなかった「アルプスの

真昼」。はたして、9年前はそれほど心を動かされなかった絵に、
ぜこうも惹かれるようになったのか。

 

前回鑑賞した時は、漠然としたものでしたが、あふれる光の裏にど

ことなく漂う「陰り」を感じたのです。

闇がある、とまでは言い過ぎかもしれませんが、光は潜在的に影の

存在を意識させるものです。

 

この「陰り」に少しずつ心を捉われていった9年間。

調べてみると、彼の画風は、暗い色調の初期から、分割主義という
技法(パレット上で色を混ぜ合わせないで、一筆一筆を細かくぬり
かさねて描くという技法)を用いた明るい色調の中期、そして象徴
主義の代表的な画家となった後期へと変わっていったとのことです。
初期の暗い色調の画風には、彼自身の生い立ちが影響しているとす
る説もあります。

 

「アルプスの真昼」は中期の作品です―セガンティーニには、同時

期に描いた同じタイトルの姉妹作があり、そちらの絵はセガンティ

ーニ美術館(スイス)に所蔵されています―

彼は、暗い影を振り払い、光の画家へとすっかり変化することがで

きたのか。それとも、画風はいかに変化しようと、どこまでも暗い

影をまとい続けたのか。

今回の美術展で鑑賞した感想から、私は後者のような気がしてなり

ません。

もちろん、これは、多分に個人的なセンチメンタリズムに起因する

ものであり、全くもって確証があるものではないのですが。

 

 

今朝のお供、

アデル(イギリスのミュージシャン)の『19』

                     (佐々木 大輔)
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真実を見抜く目を養う

No.127  平成26年8月25日(月)

 

先日、堤未果著『政府は必ず嘘をつく』という本を読みました。

あまり品がいいとは言えないタイトルですが(最近はインパクトば

かりを重視したタイトルの本が多く、あまり感心しません)、その
容は、9.11同時多発テロ以降のアメリカが抱える問題を明らかに
し、
東日本大震災以降の日本が同じ轍を踏まないよう警告するもの
でし
た。

堤氏は、ベストセラーとなった『ルポ 貧困大国アメリカ』等の著

作でも知られるジャーナリストです。

 

本書でまず目を引いたのは、「コーポラティズム」という言葉。

堤氏によると、想像を絶する資金力をつけた経済界が政治と癒着す

ることを表す言葉とのことです

堤氏は、アメリカの現状について、レーガン政権がメディアの企業

所有を解禁して以来、大資本によるマスメディア(テレビや新聞等)
の集中と系列化が
進んだことで、情報操作が頻繁に起こるようにな
り、多様な意見が
反映されなくなっていることを指摘。その結果、
アメリカの政治は、
資本が裏で糸を引く、名ばかり二大政党と化し、
「資本独裁国家」と
でも呼ぶべき状態に陥っていると慨嘆します。

これはアメリカに限られたことではないでしょう。

では、どうすれば真実を見抜くことができるのか。

堤氏は、「腑に落ちないニュースがあったら資金の流れをチェック」

し、「情報を比較する」ことが大切であると説きます。

 

その具体例のひとつとして挙げられているのが、2011年にリビ

アで起こった民主革命です。

民主革命である「アラブの春」が、リビアにも拡大したことを喜ぶ

リビア国民の様子が、日本においても連日報道されました。

しかし、堤氏は、「カダフィ政権が、ドルとユーロに対抗するため
統一通貨ディナの導入を計画していたこと」こそが、リビアの民
革命の引き金であったと看破し、「ディナが実現すれば、アラブ
とア
フリカは統合され、石油取引の決済がドルからディナに代われ
ば、
基軸通貨であるドルの大暴落は避けられない」とするアメリカ
の憂
慮が、リビア国民の民主化機運の高まり以上に、色濃く反映さ
れたものであったと主張します。

ちなみに、「アラブの春」の立役者となったフェイスブック(イン
ターネット上において、同じ目的を持つ仲間が交流を図るための会
員制サービス)は、
アメリカの会社が提供するサービスです。

 

ただし、本書の内容を全て鵜呑みにするのはいかがなものかな、と

いうのが私の正直な感想です。

本書には、たとえば立憲主義に対する堤氏の誤認(直接本書のテー

マとは関係がない部分であり、揚げ足をとるつもりはありませんが)

などがあり、はたして全ての内容が正しい知識に基づいて書かれて

いるのか心許なく思うところもあります。

また、堤氏の主張を裏付ける証言が、特定の人物からのみ得られた

ものであることが多く、公平さという側面にも疑問が残ります。

 

本書の内容も、堤氏というひとりのジャーナリストが発するひとつ

の情報ですから、堤氏自身が指摘するように、他の情報と比較し、

多角的な視点で考察する必要があるでしょう。

本当のメディアリテラシー(テレビや新聞等からの情報を主体的・
批判的に読み解く力)が試される一冊なのかもしれません。

 

 

今朝のお供、

MEGADETH(アメリカのバンド)の『RUST IN PEACE

サマソニのセットリストがコンパクトながらも豪華で・・・

                    (佐々木 大輔)

『バッファロー’66』

No.126  平成26年8月11日(月)

 

私にとって思い出の映画、『バッファロー’66』(ヴィンセント・
ギャ
ロ監督・脚本・主演)を紹介します(※ネタバレあり)。

観る度、若さのかさぶたをはがすような気持ちになる映画です。

 

―刑務所を出たばかりの主人公ビリーは、ニューヨーク州バッファ

ローにある実家に戻るため、両親へ電話をかける。ところが、彼女

もいないのに見栄を張って「フィアンセを連れて帰る」と嘘をつい

てしまったことから、通りすがりの少女レイラを「フィアンセ役」

として拉致し、実家へ向かう―

 

映画冒頭から、エゴイスティックなビリーのダメ人間ぶり、横暴ぶ

りが全開です。

そして、簡単に逃げ出せそうなシチュエーションの中、なぜか逃げ

出すことなく、ビリーと行動を共にするレイラ。

 

―ビリーはレイラを連れて実家に戻るものの、両親はビリーにまる

で関心がない。癇癪持ちの父親とアメフトに夢中の母親に、何とか

挨拶を済ませたビリーは、刑務所に入る原因を作った人物スコット

への復讐を果たすため、再びレイラと共に実家を出る―

 

ビリーの生い立ちを垣間見たレイラは、一緒に行動するうち、ビリ

ーの孤独、純粋さ、優しさを理解し、次第に好意を持つようになり

ます。

それにしても、レイラを演じるクリスティーナ・リッチがとても魅

力的。時には恋人、時には母親のように、ビリーのことを優しく包

み込みます。彼女のぽっちゃりとした体形は、安息の象徴なのかも。

 

―「スコットを撃って、俺も死ぬ」。そう決意したビリーは、レイ
ラをモーテルに残し、ひとり拳銃を手に、スコットの経営する劇場
へ―

 

さて、ビリーの復讐劇はどのような結末を迎えるのでしょう。

YES(イギリスのバンド)の曲「Heart of the Sunrise」にのせて、

ギャロの才気煥発な復讐シーンは必見。

 

映画のラスト、ドーナツ屋で交わされる会話は、モノトーン調で淡
と進んできた物語に、一輪の花が咲いたような、幸せな色を差し
す。決して豪華な花の色ではないけれど。

ホットチョコレートよりも、ハート形のクッキーよりも甘いハッピ

ーエンド。そして、始まりの予感。

 

ビリーがやっと手にすることができた安らぎ。

でも、この安らぎに身を委ね続けるわけにはいかない。

だけど、もう少しだけこのままいさせてほしい。

 

私にとって青春の1本であるとともに、モラトリアムが終わったこ

とを残酷なまでにはっきりと突きつける映画でもあります。

 

 

今朝のお供、

King Crimson(イギリスのバンド)の『クリムゾン・キングの宮殿』。

                       
(佐々木 大輔)

カルロス・クライバー

No.125  平成26年7月28日(月)

 

今年は名指揮者カルロス・クライバーの没後10年。私にクラシッ

ク音楽の面白さを教えてくれた指揮者です。

 

20世紀最後のカリスマと呼ばれ、キャンセルは日常茶飯事、初め

てウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの指揮者に決定した

時は、世界中継の当日にキャンセルされたときのため、テレビ局が

中継用に前日の演奏会を録画して万一に備えていたことや(ニュー

イヤーコンサートは、大晦日にも同じプログラムで開催され、元日

の演奏会が世界中に中継されます)、代役として非公式にアバドが
えていたことなどが話題になりました。

 

そのほか、指揮者カラヤンから、なかなか指揮台に上がらない理由

を問われ、「冷蔵庫が空になるまで指揮はしない」とはぐらかした
いうエピソードや、極端に狭いレパートリーからは、変わり者で
難しい人のように思われますが、どうやらそのとおりの人であっ
たこ
とは間違いないようです。

 

彼の残した希少な録音は、全てが名演として有名ですので、私が改

めてここに書くまでもありません。

そこで、今回は、彼の若き日のリハーサル映像(オペラ『こうもり』

の序曲)を紹介します。

リハーサルに見る彼は、しばしばオーケストラの演奏を止めて指示

を出します。音楽を言葉にするというのは困難を極めることと思い

ますが、ウィットとユーモアに富んだ的確な指示で(法的に看過で

きないような喩えもありますが)、オーケストラから自分の理想と
る音を引き出す彼の手腕は見事。

たいていのオーケストラは、演奏を途中で止められることを嫌い、

指揮者の長広舌など聞きたくないというのが本音でしょうが、彼は

一切の妥協をせず、文学的な表現でもって自分より年長者の多い団
員を
説得します。

そしてその効果は、私のような素人耳にもはっきりわかるほど。指

示を受けたオーケストラの音は、「これぞクライバー」という音に
変。

彼の(本番での)演奏は、テンペラメントに満ちたものと評される

ことが多いのですが、その裏で実に緻密なリハーサルを行っていた

ことは、映像が公開された当時、多くの評論家やファンを驚かせた

ものでした。

 

ちなみに、『こうもり』序曲は、彼の得意のレパートリーであり、
年、バイエルンとのものが2種(映像として残された方は、弾力
効いて、間が絶妙)、前述のニューイヤーコンサートでのもの
(蝶の
ように舞い、蜂のように刺すかのような演奏)が正式な録音
として発売
されていますが、リハーサル時の演奏は、後年の自身の
演奏より
も、父エーリッヒ(父親も偉大な指揮者でした)の演奏に
似ている
ように感じます。

 

 

今朝のお供、

クライバー指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェンの『運命』。

シリアルナンバー入りのアナログ盤ボックスセットを予約してしま

いました。私にとって青春の響き。

                       (佐々木 大輔)

金照寺山

No.124  平成26年7月14日(月)

 

皆さん、NHKで放送されている「にっぽん縦断 こころ旅」とい

う番組をご存知ですか。全国の視聴者から手紙やメールで寄せられ

た思い出の場所を、俳優の火野正平さんが自転車で巡るという番組

で、視聴者のエピソードや思い出の風景が魅力的なのはもちろんの

こと、地元の人々との交流を通じて正平さんのチャーミングな人柄

がしのばれる素敵な番組です。

 

先々週(6月30日から7月4日)の放送は、秋田県の旅でした。

山形県から秋田県に入り、青森県へと抜ける秋田縦断の旅。私の住

む秋田市は、金照寺山が思い出の風景として紹介されました。

金照寺山とは、秋田市中心部にある標高わずか56.4メートルの

可愛らしい山です。

 

手紙主さんは、12歳の時、東京から秋田の中学校に転校してきた

方で、最初のうちは方言もわからず、なかなかクラスになじめない

でいたそうです。そんなある日、担任の先生の提案で、毎週日曜日

の朝、先生も含めクラスメートのほとんどが、金照寺山の頂上に集
まって遊ぶことになりました。みんなで走り回ったり、
ソリで遊ん
だり、何か特別なことをしたわけではないけれど、毎週
日曜日、金
照寺山で過ごす時間が、手紙主さんにとってクラスメートと
仲良く
なるかけがえのない時間だったそうです。

手紙主さんは、2年足らずでまた東京に戻ったため、秋田は遠い思

い出の地となってしまったそうですが、40年経った今でも、金照

寺山の頂上から見た秋田市内、遠くに広がる山々を懐かしく思い出

すとおっしゃっていました。

 

もちろん番組のハイライトは、正平さんが金照寺山頂上からの風景

を紹介するシーンなのですが・・・残念ながら、現在の金照寺山は

草木が生い茂り、秋田市内も遠くの山々もほとんど望めない・・・

というオチ。

 

金照寺山からの風景は、番組的には(そして手紙主さんにとっても)

少々残念な結果となりましたが、手紙主さんのことを思い、さりげ

なく手を差し伸べてくれた担任の先生の優しさに心が温かくなりま

した。

そして、秋田を離れた今でも、担任の先生のこと、秋田の風景を、

大切な思い出として心に留めていてくれる手紙主さん。秋田市民と

して感謝に堪えません。

願わくは、金照寺山が、在りし日の姿を再び取り戻してくれる時
くればなあ。

 

 

今朝のお供、

井上陽水の曲「少年時代」。

後日談によると、思い出の担任の先生から連絡があったとのことで
す。
良かったですね、手紙主(ミッフィー)さん!

                       (佐々木 大輔)

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