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シベリウス
No.137 平成27年5月11日(月)
今年はフィンランドの作曲家シベリウスの生誕150周年。
そこで今回は、私が特に好むシベリウスの曲を2曲紹介します。
最初に紹介するのは交響曲第5番。
7曲あるシベリウスの(番号付き)交響曲の中で、最もポピュラー
なのは第2番かと思いますが(もちろん私も大好きです)、私が今
最も惹かれるのは第5番の交響曲です。
とてもユニークな構成で、特に最終楽章の終結部は、初めて演奏会
で聴いたとしたら、どのタイミングで拍手をすればいいのか分から
ないような、ベートーヴェンもびっくりの終わり方です。
私の愛聴盤は、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団によ
る演奏。大胆な強弱や緩急をつけて趣向を凝らした演奏は、シベリ
ウスというよりは、ラトルの才気を強く感じさせるものですが、キ
レのあるリズムや見通しのよい音づくりにより、陽光はきらめき、
若草は爽やかに香ります。
件の終結部は輝かしく、数ある同曲異演の中でも説得力は群を抜い
ているように思われます。
次はヴァイオリン協奏曲を。
開放的な第5交響曲に対し、北欧の冷たい空気を思わせる張りつめ
た緊張感と洗練されたリリシズムが魅力的な曲です。
私はこの曲を、高校生の時に買ったアンネ=ゾフィー・ムターの演
奏によって知ったものですから、ムターの演奏が私にとっての原体
験となっています。
とはいえ、その後いろいろな演奏を聴くにおよび、ムターの演奏は
(名演であることに疑いの余地はありませんが)この曲本来の姿か
らすれば、かなり異端な演奏ではないだろうかと感じるようになり
ました。
むせ返るほど濃厚なこの演奏に対して、「これはシベリウスではな
い」と拒否反応を示す方もいるでしょう。
最近、もう少し繊細なヴァイオリンを聴きたいときは、クリスチャ
ン・フェラスのレコードに針を落とすことにしています(共演はカ
ラヤン指揮ベルリン・フィル)。
ほの暗い色気を湛え、死のにおいもそこはかとなく漂うフェラスの
演奏。惜しむらくは、オーケストラが重すぎること。
しかし、フェラスの繊細なヴァイオリンを、風に折れそうになりな
がら必死に耐え忍ぶ一輪の花と聴けば、それはそれで素敵な演奏な
のかもしれません。
好きな曲を気分に応じて何種類かの演奏で楽しむ。
世間の評価は別として、自分にとっての名演を探す。
それは音楽のもっとも美味しい楽しみ方(と私は思います)であり、
禁断の果実でもあります。
この味を知ってしまった以上、もう、後戻りはできません。
その代償として、同曲異演のCDやレコードが際限なくたまります。
今朝のお供、
METALLICA(アメリカのバンド)の『Master of Puppets』。
(佐々木 大輔)
ポリーニの偉業
No.132 平成26年12月22日(月)
世界的なピアニストであるマウリツィオ・ポリーニが、39年の年
月を経て、ついにベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲録音(全
32曲)を完結させ、全集という形で発売しました―同時に、これ
まで1枚1枚購入してきた愛好家のために、最後の1枚(第16番
から第20番を収録)も分売されました―
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は数多(あまた)あれども、
これだけの年月をかけ、そして、これだけの完成度を誇る全集は空
前絶後でしょう。
ポリーニというピアニストのことはご存知の方も多いと思いますが、
改めて紹介しますと、1960年、当時最年少の18歳でショパン
コンクールに優勝、名ピアニストである審査委員長のルービンシュ
タインから、「審査員の誰も彼のように巧く弾けない」と絶賛され
ました。
すでに名声は手の中にあり、華々しくスター街道を邁進するかと思
いきや、「このままでは音楽家として成長しない」と考え、勉強と
研鑽のため一度表舞台から姿を消します(再起不能説まで流れたほ
ど)。
10年の時を経て、ストラヴィンスキー等近代作品集と、ショパン
のエチュード集のレコードを立て続けに発表し、再び表舞台へ躍り
出たのは1970年代になってから。この再デビューは、ショパン
コンクール優勝時をはるかに凌ぐ衝撃的なものとなりました。
完璧な技巧に裏付けられ確信に満ちた演奏。大理石にもたとえられ
る硬質な輝きを放つ音色。
特にショパンのエチュードは、「これ以上何をお望みですか」とい
う音楽評論家吉田秀和氏のキャッチコピーとともに、日本でも大き
な反響を呼び、未だに決定盤として揺るぎない地位を築いています。
だいぶ前置きが長くなりましたが、ポリーニがベートーヴェンのソ
ナタで最初にとりあげたのは、後期の作品である第30番と第31
番(1975年録音)。
通常であれば、「月光」や「熱情」のような有名どころから録音を
開始し、後期の作品はある程度キャリアを積んだところで、満を持
してとりあげることが多いものです。ところがポリーニは、いきな
り後期の作品を録音したため、この録音は全曲録音を見据えたもの
ではなく、現代音楽も得意とする彼が、ベートーヴェンのソナタの
中で、最も現代音楽と親和性の高い作品を選び単発で録音したもの
であると私は思っていました。
しかしその後、ぽつぽつとソナタの録音が発表されるにつれ、「も
しかしたら全曲録音が完成するのでは」という淡い期待を抱いてい
たことも事実です。
私は、ポリーニの新譜が発売される度、1枚1枚買い揃えてきまし
たので、今回の全集は敢えて購入する必要はなかったのですが、全
集という形で所有したいという強い思いに駆られて購入、スピーカ
ーの前で居住まいを正して全曲を聴き直しました。
録音状態はもちろん、ポリーニの演奏スタイルにも変化がうかがえ
ますが、不思議と不統一感はありません。楽聖と向き合うポリーニ
の覚悟と厳しさが、そこに一貫として刻印されているからです。
ポリーニのピアニストとしてのキャリアをほぼ俯瞰できるベートー
ヴェンのピアノ・ソナタ全集。
変わったものと変わらないもの。変えてはならないもの。
彼のピアニストとして、人間としての来し方に思いを馳せながら、
今年のブログの締めくくりとします。
今朝のお供
飯野明日香(秋田市出身のピアニスト)の『フランス・ナウ』。
飯野明日香さんは、私がお世話になっている税理士長谷部光重先生、
長谷部光哉先生ご兄弟の姪御さんです。この度、本作品で、第52
回レコードアカデミー賞(現代曲部門)を受賞されました。おめで
とうございます。
(佐々木 大輔)
ビリー・ホリデイを聴く
No.129 平成26年9月22日(月)
―いけないケムリと水で その身をけずり落としてまでも―
(星空のビリー・ホリデイ)
読書をしながら何か音楽を聴きたくて、いろいろCDをかけていた
ところ、最後にかけたビリー・ホリデイ(アメリカのジャズ歌手)
が読みかけの小説の雰囲気に妙にはまり、はからずも久しぶりに彼
女の歌を聴くことになりました。
彼女の声が持つ圧倒的な存在感は、本質的にはBGMになり得ない
ものですが、小説の雰囲気がとても軽やかだったため、彼女の歌と
ぶつかることなく、読み進めることができたのかもしれません。
本を読み終え、今度は彼女の晩年の名盤『Lady in Satin』と『Billie
Holiday(ラスト・レコーディング)』を聴きました。
『Lady in Satin』の冒頭、スピーカーから飛び出すしわがれ声には、
分かっていても一瞬たじろぎます。衰えは著しく、音程も不安定、
技術的に言えば断じて上手い歌ではありません。
後年、若い頃の瑞々しい歌声を失ったのは、麻薬とアルコールに溺
れた彼女の自業自得とはいえ、思い通りに歌えない彼女の苦しみと
悲しみが伝わってきて、息が苦しくなるほどです。
一方、『Billie Holiday』における彼女は、晩年にしては声もよく出
ており、曲が進むにつれ、声に歌う喜びが乗ってきます。バックを
務めるミュージシャンも、彼女の希望をかなえたメンバーが揃いま
した。
彼女の白鳥の歌となった、アルバムの最後を飾る曲「Baby Won’t
You Please Come Home」は、苦悩に満ちた人生の締めくくりとし
ては意外なほど、明るさに満ちています。
―so long 黄昏を歌に秘めたら―(星空のビリー・ホリデイ)
初めて彼女の歌を聴いたのは、ちょっと背伸びをしたかった中学生
の時。大人の世界を覗いたような気分になりましたが、結局、その
時は良さを理解できませんでした。
しかし、年齢を重ねるにつれ、少しずつ彼女の魅力(というよりも、
彼女の引き受けた孤独とは何たるか)を分かり始めたような・・・
でも、正直なところ、やっぱり分からない。
村上春樹氏は著書の中で、彼女の歌を「癒し」ではなく「赦し」と
表現しましたが、その感覚も私には分からない。
それは、まだ、なのか。
それとも、ずっと、なのか。
今朝のお供、
(佐々木 大輔)
カルロス・クライバー
No.125 平成26年7月28日(月)
今年は名指揮者カルロス・クライバーの没後10年。私にクラシッ
ク音楽の面白さを教えてくれた指揮者です。
20世紀最後のカリスマと呼ばれ、キャンセルは日常茶飯事、初め
てウィーン・フィルのニューイヤーコンサートの指揮者に決定した
時は、世界中継の当日にキャンセルされたときのため、テレビ局が
中継用に前日の演奏会を録画して万一に備えていたことや(ニュー
イヤーコンサートは、大晦日にも同じプログラムで開催され、元日
の演奏会が世界中に中継されます)、代役として非公式にアバドが
控えていたことなどが話題になりました。
そのほか、指揮者カラヤンから、なかなか指揮台に上がらない理由
を問われ、「冷蔵庫が空になるまで指揮はしない」とはぐらかした
というエピソードや、極端に狭いレパートリーからは、変わり者で
気難しい人のように思われますが、どうやらそのとおりの人であっ
たことは間違いないようです。
彼の残した希少な録音は、全てが名演として有名ですので、私が改
めてここに書くまでもありません。
そこで、今回は、彼の若き日のリハーサル映像(オペラ『こうもり』
の序曲)を紹介します。
リハーサルに見る彼は、しばしばオーケストラの演奏を止めて指示
を出します。音楽を言葉にするというのは困難を極めることと思い
ますが、ウィットとユーモアに富んだ的確な指示で(法的に看過で
きないような喩えもありますが)、オーケストラから自分の理想と
する音を引き出す彼の手腕は見事。
たいていのオーケストラは、演奏を途中で止められることを嫌い、
指揮者の長広舌など聞きたくないというのが本音でしょうが、彼は
一切の妥協をせず、文学的な表現でもって自分より年長者の多い団
員を説得します。
そしてその効果は、私のような素人耳にもはっきりわかるほど。指
示を受けたオーケストラの音は、「これぞクライバー」という音に
一変。
彼の(本番での)演奏は、テンペラメントに満ちたものと評される
ことが多いのですが、その裏で実に緻密なリハーサルを行っていた
ことは、映像が公開された当時、多くの評論家やファンを驚かせた
ものでした。
ちなみに、『こうもり』序曲は、彼の得意のレパートリーであり、
後年、バイエルンとのものが2種(映像として残された方は、弾力
が効いて、間が絶妙)、前述のニューイヤーコンサートでのもの
(蝶のように舞い、蜂のように刺すかのような演奏)が正式な録音
として発売されていますが、リハーサル時の演奏は、後年の自身の
演奏よりも、父エーリッヒ(父親も偉大な指揮者でした)の演奏に
似ているように感じます。
今朝のお供、
クライバー指揮ウィーン・フィルによるベートーヴェンの『運命』。
シリアルナンバー入りのアナログ盤ボックスセットを予約してしま
(佐々木 大輔)
リヒャルト・シュトラウス
No.121 平成26年4月21日(月)
スタンリー・キューブリック監督の映画『2001年宇宙の旅』の
オープニングで勇壮に流れる音楽。作曲者はリヒャルト・シュトラ
ウス。
これは、交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき(こう語った)』
の第1曲「導入部」であり、映画のために作られた曲ではありませ
んが、そのはまり具合は観る者に強烈な印象を残します。
―キューブリック監督は、映画『時計じかけのオレンジ』でもベー
トーヴェンの第九を効果的に使用するなど、その音楽センスには感
服せざるを得ません―
そして今年、そのR.シュトラウスは生誕150年のメモリアル・
イヤーを迎えます。
映画に使用されたことにより、R.シュトラウスの作品中もっとも
有名になった『ツァラトゥストラ』。きっと皆さんも、使用された
第1曲「導入部」(1分半くらい)を耳にすれば、「あぁ、この曲
か」と思われるはず。そして、その壮大な1分半で十分満足してし
まうかもしれません。しかし私は、もう少し我慢して、是非とも続
く第2曲「世界の背後を説く者について」も聴いていただきたい。
大音響の「導入部」から一転、弦楽器を中心に得も言われぬ美しい
旋律が奏でられます。
「導入部」のような、オーディオ・マニアにとって試金石ともいえ
る大音響にカタルシスを得る愛好家もたくさんいらっしゃるでしょ
うが、私にとっては、情熱の迸りの後に訪れる物憂げな気怠さと優
しさが寄り添う陶酔感こそが、R.シュトラウスを聴く最高の歓び
なのです。
そして美しさという点において、オペラ『ばらの騎士』の最後の場
面で歌われる三重唱は、20世紀に作曲された最も美しい音楽のひ
とつではないでしょうか。
クライバー指揮ウィーン国立歌劇場の演奏(映像)に聴く三重唱で
は、時の流れの無情、過ぎ去りし日への憧憬、若さの輝きが交錯す
る刹那のきらめきが、クライバーの夢幻的なタクトによって紡がれ
ます―まだ若い(と思っている)私は、同じクライバーの映像でも、
79年のバイエルン盤の指揮姿に、より魅力を感じるけれど―
紹介は2曲にとどめるつもりでしたが、R.シュトラウスの美しさ
について語るとき、どうしても晩年の作品である『4つの最後の歌』
に触れないわけにはいきません。そのオーケストレーションの絢爛
さゆえ、俗物と揶揄されることも多かったR.シュトラウスが、晩
年に描いた純潔で崇高な愛の調べ。
お気に入りの録音は他にもありますが、ヤノヴィッツが歌い、カラ
ヤンとベルリン・フィルが伴奏を務めた演奏の美しさを超えるもの
を私は知りません。
ちなみに、映画で使用された『ツァラトゥストラ』も、カラヤン指
揮の演奏(1959年録音。ウィーン・フィル)でした。
今朝のお供、
(佐々木 大輔)